裸の香り

2004年6月18日 色と形
 最近、香りの体験をしていない。日常生活に匂いはつきものだ。良いにおいから、いやなにおいまで、私たちは何らかの匂いを嗅ぎつづけている。しかし、私を刺激する匂いに、最近出合っていない。BGMのように日常のなかに溶け込んでしまっているのだ。私がくたびれて感覚が鈍くなっているからかもしてない。
 日常での匂いといえば、体臭であろう。ここでいう体臭とは香水やコロンも含めたものである。純粋な体臭とは裸のようなもので、日常のなかでは、限られたプライベートの空間でしか、体験することはない。ちなみに私は、妻の腋の匂いを嗅ぐのが好きだが、彼女が嫌がるのでなかなか嗅げないでいる。香水やコロンを含めた香りは、服を着た体臭と呼ぶことができる。服が似合ってる人もいれば、服のセンスの悪い人もいるように、体臭にも同じことがいえる。
 昨晩、帰宅途中に電車で、40過ぎぐらいの女性の隣に立っていた。彼女はTシャツに麻のズボンとかなりラフな格好をしており、仕事帰りにも見えず、私も含め、くたびれた輩で混んでいる電車の中で、さっぱりとしており地味ながらも異彩を放っていた。彼女の香りは、石鹸や香水など人工的な香りは一切なく、かといって汗を含めた動物的体臭もなく、純粋に女性の香りだけでなされていた。その香りは、少し草の香りにも近く、しいて言えば中国茶の白毫銀針に似ている。優しく包み込むようなやわらかな香りである。私は、昨日の夜、裸の香りの女性に出会ったのである。 

金魚

2004年4月12日 色と形
私の机の上には
死んだ金魚のアルコール漬けがある
以前飼っていた金魚だ
名前は無かったが
2年間ほど飼われていた流金だ
水槽で泳いでいたときは
赤色が綺麗に出ていて
地の白とのコントラストが美しい更紗だった
その赤色もすっかりあせてしまい
代わりにアルコールがうっすらと着色している

丘の上

2004年3月24日 色と形
十代の私にとって、
ミロ、ピカソ、カンディンスキーは
あこがれであった
二十歳になったばかりの私は
おんぼろ飛行機にのり
電車を乗り継ぎ
バルセロナにある
モンジュイックの丘に登った
そこには健康的で明るいミロの世界が広がっていた
世を妬み少し陰鬱になっていた私とは対照的で
あまりにもあっけらかんとしていた
青臭く肩肘を張ることが大事だと勘違いしていた私は
すっかり肩すかしをくらってしまった

丘の上の風を受け
新しい自分が産まれたように感じた

オキーフ

2004年3月16日 色と形
 温かくなり、街にはコブシが咲いている。東京に大自然は存在しないが、住宅地などには花や実をつける庭木も多く、道行く人の目を楽しませてくれる。今週はコブシが目につく。ここにも、あそこにもと、遠目には逆さにした箒に丸めたティッシュがくっついてるとようにしか見えない。研究所の敷地には、同じマグノリアの仲間のタイサンボクが植わっている。こちらは5月頃に柔らかそうな白い花びらとパイナップルのような芯を持つ立派な花をつける。その肉感のある花は、さすがアメリカ育ちと納得させられる。花の肉感といえば、ジョージア・オキーフである。キャンバスいっぱいに描かれた花、ビビッドな色使いの花心。見ているものをどきどきさせてやまない。私は、彼女の描くJimson weedが好きだ。バックは青い空、葉の緑とツルを思わせる白い花。オキーフにしては健康的な絵で、自己主張の強烈な絵が並ぶ彼女の展覧会で、ほっとさせてくれる一枚になる。そして、そこには着衣の貴婦人の美しさが十分に溢れている。Jimson weedは、チョウセンアサガオなる名で国内でも見られるが、品種改良が進み、その大きな花が頭を垂れる様は異様であり、貴婦人を感じさせてはくれない。

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