先日日記に書いた映画「パターソン」つながりで、詩人ウィリアム・カーロス・ウィリアムズの散文を読む。もちろん彼の詩にも興味はあるが、原文で詩を楽しめるだけの英語の素養もなく、訳文で詩を読むのは「コートを着たままシャワーを浴びるようなもの」らしいので、あきらめる
この本は、1925年に書かれた、文献史料をもとにした、ウィリアムズのアメリカに対する歴史観である。
読んでみて、自分があまりにもアメリカの歴史を知らないため、訳者による解説を読みながら、「大航海と制服時代から独立革命、南北戦争まで」のウィリアムズの熱い歴史観を感じる。
時代的には芥川あたりとと同世代であるが、彼の歴史観に余裕を感じさせるのは、ヨーロッパやアジアでの紛争を対岸の火事と見ることができたからかなと
そういう意味でも9.11はすごい出来事だと思い
空爆も銃撃も起きない束の間かもしれない平穏が一週間続くことを描いた映画「パターソン」は時代的に的を得ているという感想に戻ってくる
この本は、1925年に書かれた、文献史料をもとにした、ウィリアムズのアメリカに対する歴史観である。
読んでみて、自分があまりにもアメリカの歴史を知らないため、訳者による解説を読みながら、「大航海と制服時代から独立革命、南北戦争まで」のウィリアムズの熱い歴史観を感じる。
時代的には芥川あたりとと同世代であるが、彼の歴史観に余裕を感じさせるのは、ヨーロッパやアジアでの紛争を対岸の火事と見ることができたからかなと
そういう意味でも9.11はすごい出来事だと思い
空爆も銃撃も起きない束の間かもしれない平穏が一週間続くことを描いた映画「パターソン」は時代的に的を得ているという感想に戻ってくる
モンキーズ・レインコート―ロスの探偵エルヴィス・コール (新潮文庫)
2018年2月23日 読書 コメント (2)
はにゃ。さんオススメの「モンキーズ・レインコート」を読む
楽しくて、あっという間に読む終える
舞台はカリフォルニアなんだけど、東洋文化への憧れが随所に出てきて、ハードボイルドらしさの演出に一役買っている。そういえば村上春樹の本ではアメリカン・カルチャーが随所に出てきて、クールらしさを演出していた。
メカ好きとしては、知らない車や銃の名前が出てきてイメージがわかないのが気持ち悪く、ウィキで調べながら読む。
そして、尾行をするのに黄色のコルベットのオープンカーなんて、いくらなんでも目立ちすぎでしょうと突っ込みたくなるが、これもハードボイルドらしさなんだよねと納得、それともカリフォルニアなら目立たない!?
村上春樹の小説でも車の車種にこだわっていたことを思い出す、登場する車種のトレンドは全然違うんだけどね、登場人物に合わせて使い分けているのは同じ
村上春樹の小説では、心の冷たいお金持ちは運転手付きの大きいセダンかクーペに乗っていて、主人公が運転を楽しむときはヨーロッパの小型車。この本では、ランボーばりの探偵たちは自己主張の強いアメ車で、車に興味のなさそうな女性は実用的なスバル
次は「容疑者」か、みなさんから二周ほど遅れております
さらに、ボッシュシリーズにエルヴィス・コールが出てくる作品があると、はにゃ。さんから情報をもらっていて、こちらも読まねば!
楽しくて、あっという間に読む終える
舞台はカリフォルニアなんだけど、東洋文化への憧れが随所に出てきて、ハードボイルドらしさの演出に一役買っている。そういえば村上春樹の本ではアメリカン・カルチャーが随所に出てきて、クールらしさを演出していた。
メカ好きとしては、知らない車や銃の名前が出てきてイメージがわかないのが気持ち悪く、ウィキで調べながら読む。
そして、尾行をするのに黄色のコルベットのオープンカーなんて、いくらなんでも目立ちすぎでしょうと突っ込みたくなるが、これもハードボイルドらしさなんだよねと納得、それともカリフォルニアなら目立たない!?
村上春樹の小説でも車の車種にこだわっていたことを思い出す、登場する車種のトレンドは全然違うんだけどね、登場人物に合わせて使い分けているのは同じ
村上春樹の小説では、心の冷たいお金持ちは運転手付きの大きいセダンかクーペに乗っていて、主人公が運転を楽しむときはヨーロッパの小型車。この本では、ランボーばりの探偵たちは自己主張の強いアメ車で、車に興味のなさそうな女性は実用的なスバル
次は「容疑者」か、みなさんから二周ほど遅れております
さらに、ボッシュシリーズにエルヴィス・コールが出てくる作品があると、はにゃ。さんから情報をもらっていて、こちらも読まねば!
闇よ、我が手を取りたまえ (角川文庫)
2018年2月1日 読書 コメント (4)
日記仲間のはにゃ。さんに教えてもらったデニス・レヘインのデビュー2作目を読む。すぐに切れる登場人物のオンパレードにちょっと食傷気味になるが、あとがきにも書いてあるように現代のハードボイルドの世界を楽しむことができる。
読了間際は没頭するあまり、帰りの電車を一駅乗り過ごしてしまった。ちょうど小説の最後が雪の積もる真冬のシーンで、夜の都心へ向かう寂しいホームで線路に積もった雪を見ながら電車を待つ自分をハードボイルドな主人公に重ね合わせ、デニス・レヘインの世界にどっぷりハマる。
ジョージ・ペレケーノスも読まなくては!
読了間際は没頭するあまり、帰りの電車を一駅乗り過ごしてしまった。ちょうど小説の最後が雪の積もる真冬のシーンで、夜の都心へ向かう寂しいホームで線路に積もった雪を見ながら電車を待つ自分をハードボイルドな主人公に重ね合わせ、デニス・レヘインの世界にどっぷりハマる。
ジョージ・ペレケーノスも読まなくては!
ふと小説を読みたくなるときがある
近所の図書館に仕事関連の資料を借りに行き、何気なく覗いた返却図書欄で、この小説を見つけて、うきうきと借りる
囲い込み運動後のウェールズの所領で紡がれる二世代の100年にわたる物語
100年ならば三世代と思われるが、そこが二世代なのは、主人公の双子の兄弟が未婚のまま年老いたからである。
ウェールズの気候と土壌がどんなものかよく知らないので、ピンとこないところもあるが、そこはチャトウィンの丁寧な描写のおかげで楽しめる。しかし、丁寧な描写のおかげで、さらに知らない単語が出てきて、迷える羊になることも。そんな時は読み飛ばしてもいいのだが、20世紀のウェールズのじっくりと時間が過ぎてゆく様を実感したかったため、じっくりと言葉を調べながら、ゆっくりと読み進む。
共進会について調べたり、ウェールズを含めたイギリスのキリスト教の流れについて調べたり、名前は知っていたけどどんな植物かよく知らなかったエニシダについても調べ、あ〜あれねと納得したり。
国内、海外のものを問わず、小説のページの端に注釈の入っている体裁のものもあり、あれはあれで便利だと思うが、注釈がないとないで自分のペースで小説が読めてよろしい
そしてみすず書房の本は間違いないと納得
近所の図書館に仕事関連の資料を借りに行き、何気なく覗いた返却図書欄で、この小説を見つけて、うきうきと借りる
囲い込み運動後のウェールズの所領で紡がれる二世代の100年にわたる物語
100年ならば三世代と思われるが、そこが二世代なのは、主人公の双子の兄弟が未婚のまま年老いたからである。
ウェールズの気候と土壌がどんなものかよく知らないので、ピンとこないところもあるが、そこはチャトウィンの丁寧な描写のおかげで楽しめる。しかし、丁寧な描写のおかげで、さらに知らない単語が出てきて、迷える羊になることも。そんな時は読み飛ばしてもいいのだが、20世紀のウェールズのじっくりと時間が過ぎてゆく様を実感したかったため、じっくりと言葉を調べながら、ゆっくりと読み進む。
共進会について調べたり、ウェールズを含めたイギリスのキリスト教の流れについて調べたり、名前は知っていたけどどんな植物かよく知らなかったエニシダについても調べ、あ〜あれねと納得したり。
国内、海外のものを問わず、小説のページの端に注釈の入っている体裁のものもあり、あれはあれで便利だと思うが、注釈がないとないで自分のペースで小説が読めてよろしい
そしてみすず書房の本は間違いないと納得
ジャコメッティ展@国立新
2017年7月20日 読書
我々が見ているものと、我々が認識する以前にそこに存在するものは違うのか?よくあることだが、思い込みによって我々の見方は大きくバイアスを受ける。例えば探し物をしている時、目の前にありながら、それが見えてなく、無い無いと大騒ぎする時がある。焦れば焦るほど、ものは見えなくなり、目の前にあるものさえ見つけられない。当たり前なのだが、やはり、我々が見て認識しているものは現実とは少しずれている。少しね!
真面目なジャコメッティは、焦りは禁物と、日がな一日、対象を描いては消し、消しては描き、自分の目の前にあるものをありのままに捉えようとしたらしい。なんと真面目でご苦労なことであろう。そんな、彼が造った彫刻を前に、私たちが見ている彫像そのものから意味するものを探そうとする。彼が苦労して、バイアスを取り除いてくれたのに、やはり我々はバイアスなしでは鑑賞できない性なのか。でも、時々、彫像をちらりと見た瞬間に無垢な自然を感じられたような気がする時があり、それはそれで嬉しくなってニヤリとする。きっと思い込みなんだろうけどね。
真面目なジャコメッティは、焦りは禁物と、日がな一日、対象を描いては消し、消しては描き、自分の目の前にあるものをありのままに捉えようとしたらしい。なんと真面目でご苦労なことであろう。そんな、彼が造った彫刻を前に、私たちが見ている彫像そのものから意味するものを探そうとする。彼が苦労して、バイアスを取り除いてくれたのに、やはり我々はバイアスなしでは鑑賞できない性なのか。でも、時々、彫像をちらりと見た瞬間に無垢な自然を感じられたような気がする時があり、それはそれで嬉しくなってニヤリとする。きっと思い込みなんだろうけどね。
久々のヴォネガット、小説にしようかとも思ったんだけど、ちょっと軽めにエッセーを読むことに
しかし、軽いおふざけのように見えて、かなり真面目なお話である
近代において、民衆は国家の暴力に何度も打ちのめされながらも、決して希望を失わずに、その度に立ち上がってきた。
新しいミレニアムになっても、国家の暴力がなくなることはない。ただ、暴力は巧妙に見えにくくなっており、ヴォネガットは風車に立ち向かうドンキホーテのようだ
しかし、軽いおふざけのように見えて、かなり真面目なお話である
近代において、民衆は国家の暴力に何度も打ちのめされながらも、決して希望を失わずに、その度に立ち上がってきた。
新しいミレニアムになっても、国家の暴力がなくなることはない。ただ、暴力は巧妙に見えにくくなっており、ヴォネガットは風車に立ち向かうドンキホーテのようだ
あまりにも仕事が忙しくて、空想の世界に逃げようと、手に取った小説
ガルシア・マルケスの中国版と言った印象
現実の俗っぽさと理想の空想が入り乱れ、読後は切なくなる
この世にユートピアはないのかね、空想に逃げようとした私の考えが甘かった
ガルシア・マルケスの中国版と言った印象
現実の俗っぽさと理想の空想が入り乱れ、読後は切なくなる
この世にユートピアはないのかね、空想に逃げようとした私の考えが甘かった
リンクつながりのレモネードさんの日記を読んでの、初佐藤正午
斜に構えた、理屈っぽいおじさんの文章が続く。まるで自分を見ているようで、嫌気がさしながらも、伏線の続きが知りたくて、最後まで読む。
抽象的な観念の世界を描く芥川賞を意識しながら、対極にあるリアルな感情にまみれた物語の世界を楽しませてくれる。
心優しきヤニ中万歳!の物語であり、海外の作品によくあるアル中、ヤク中に比べてインパクトはどうしても弱い。アル中、ヤク中は失われた記憶を求めて逆時系列に真実を探しにいくのだが、ヤニ中は記憶喪失することもなく、物語の起伏を作るため作者がわざわざ主人公に勝手な勘違いをさせる必要がある。ここの仕込みに付き合うのが少しまどろっこしいが、仕込みに乗ってしまえば、後半は自然に楽しめる
斜に構えた、理屈っぽいおじさんの文章が続く。まるで自分を見ているようで、嫌気がさしながらも、伏線の続きが知りたくて、最後まで読む。
抽象的な観念の世界を描く芥川賞を意識しながら、対極にあるリアルな感情にまみれた物語の世界を楽しませてくれる。
心優しきヤニ中万歳!の物語であり、海外の作品によくあるアル中、ヤク中に比べてインパクトはどうしても弱い。アル中、ヤク中は失われた記憶を求めて逆時系列に真実を探しにいくのだが、ヤニ中は記憶喪失することもなく、物語の起伏を作るため作者がわざわざ主人公に勝手な勘違いをさせる必要がある。ここの仕込みに付き合うのが少しまどろっこしいが、仕込みに乗ってしまえば、後半は自然に楽しめる
ボイマンス美術館所蔵 ブリューゲル「バベルの塔」展
2017年5月1日 読書
上野の都立美術館で初期フランドル派の絵画を楽しむ
ブリューゲルのバベルの塔がメインなのだが、ブリューゲルの油彩画はこの一点だけで、初期フランドル派のマイナーな絵画とブリューゲル下絵の版画を見せてくれる。展覧会名もブリューゲル展ではなく、ブリューゲルのバベル展であり、ギリギリ羊頭狗肉ではないかと
市民社会萌芽期の中世末期のフランドルで自然主義の息吹が感じられ、
また、むかし阿部謹也の本で読んだ庶民特にギルド集団による貴族への皮肉を思い出し、それなりに楽しめる
その本では、貴族の宴会料理を作る料理人がグリルの肉にバターを垂らすために、わざわざ自分のお尻の穴にバターを入れて肉にまたがるという、我々には想像だにできない料理方法が紹介されており、中世庶民の貴族への恨みの深さに驚いた。このあと、貴族が庶民に首を刎ねられたのにも納得
ブリューゲルのバベルの塔がメインなのだが、ブリューゲルの油彩画はこの一点だけで、初期フランドル派のマイナーな絵画とブリューゲル下絵の版画を見せてくれる。展覧会名もブリューゲル展ではなく、ブリューゲルのバベル展であり、ギリギリ羊頭狗肉ではないかと
市民社会萌芽期の中世末期のフランドルで自然主義の息吹が感じられ、
また、むかし阿部謹也の本で読んだ庶民特にギルド集団による貴族への皮肉を思い出し、それなりに楽しめる
その本では、貴族の宴会料理を作る料理人がグリルの肉にバターを垂らすために、わざわざ自分のお尻の穴にバターを入れて肉にまたがるという、我々には想像だにできない料理方法が紹介されており、中世庶民の貴族への恨みの深さに驚いた。このあと、貴族が庶民に首を刎ねられたのにも納得
『服従』の中で、服従が愚かな受け身姿勢ではなく、情熱に満ちた人間的でかつ崇高な姿勢であることの裏を取るのに使われていた
渋龍の訳本に中学生時代お世話になったのを懐かしく思い出す
中学生なので、本題である精神性はとんと理解できず、変態の世界をドキドキしながら読むも、なんだ大したことないじゃんと見切ったことが、可愛いかったなと今の自分は思う
中世の時代、幸せだったかどうかは置いといて、神のしもべとして大人しかった私たちが、神が死んでしまった近代で信じるものを失い、野生であるサディズムに目覚めるのはなんとなく理解できるのだが、マゾヒズムとして羞恥を受け入れることは近代をぶっ飛ばし一周先回りしてきた感がある。
もちろん、それが前進なのか後退なのかはわからず、人は進化とは別れて、新しい世界へ向かおうとしているのだろうか
渋龍の訳本に中学生時代お世話になったのを懐かしく思い出す
中学生なので、本題である精神性はとんと理解できず、変態の世界をドキドキしながら読むも、なんだ大したことないじゃんと見切ったことが、可愛いかったなと今の自分は思う
中世の時代、幸せだったかどうかは置いといて、神のしもべとして大人しかった私たちが、神が死んでしまった近代で信じるものを失い、野生であるサディズムに目覚めるのはなんとなく理解できるのだが、マゾヒズムとして羞恥を受け入れることは近代をぶっ飛ばし一周先回りしてきた感がある。
もちろん、それが前進なのか後退なのかはわからず、人は進化とは別れて、新しい世界へ向かおうとしているのだろうか
一昨年話題だった本を正月休みに読む
広い知識と記号が散りばめられた小説、ウンベルト・エーコとヤッシーの小説を足して二で割った感じで、読み甲斐はあり、そして面白い。でも、結論は悩める男は振りをしているだけの悩まないロクデモナイ生き物であるというとてもシンプルなもの。そのシンプルな出口へ至る過程が冗長で面白いのだが、男がロクデモナイのは古今東西で自明であり、あまりにも救いようがない
ちなみに同じイスラムのスンニ派と言っても、融通の利かない原理主義のISと世俗的なサウジアラビアでは大きく異なり、この小説に出てくるのは後者らしい
比較として、悩めるイスラムの女性を扱った「テヘランでロリータ」を読もうかと思ったが、あれはシーア派であり、さらにペルシャ人なので、ちょっと違うかなと思い、さらに、きっと結論は男はロクデモナイだろうと勝手に想像して、読むのを止す
広い知識と記号が散りばめられた小説、ウンベルト・エーコとヤッシーの小説を足して二で割った感じで、読み甲斐はあり、そして面白い。でも、結論は悩める男は振りをしているだけの悩まないロクデモナイ生き物であるというとてもシンプルなもの。そのシンプルな出口へ至る過程が冗長で面白いのだが、男がロクデモナイのは古今東西で自明であり、あまりにも救いようがない
ちなみに同じイスラムのスンニ派と言っても、融通の利かない原理主義のISと世俗的なサウジアラビアでは大きく異なり、この小説に出てくるのは後者らしい
比較として、悩めるイスラムの女性を扱った「テヘランでロリータ」を読もうかと思ったが、あれはシーア派であり、さらにペルシャ人なので、ちょっと違うかなと思い、さらに、きっと結論は男はロクデモナイだろうと勝手に想像して、読むのを止す
偶然の音楽 (新潮文庫)
2016年12月26日 読書 コメント (2)
ポール・オースターは、当時付き合っていた彼女に勧められたこともあって、最初の数作は真面目に読んでいた
ねちっこいアービィングに食傷気味だった私には、レイモンド・カーヴァーに代表されるアメリカの乾いたポストモダン小説は新鮮で、ポール・オースターも新しい世界を見せてくれるかのように見えた
しかし、その内省的な文章を、古くからある玉ねぎの皮むきのような自分探しの一つに過ぎないと思い込み、さらにラテンアメリカや東ヨーロッパの新しい文学の新鮮さに出会ったこともあり、急に興味をなくしてしまった
そんなこんなで、未読になっていた偶然の音楽を読む
面白い!人生は君のものだという教えが、21世紀の悩ましき50代の心を癒してくれる
壁を作るという意味の見えない使役に主人公が拘束されるという展開は安部公房の壁そのものだが、時代も文化も異なり、全く違う面白さを提供してくれる
でも、やっぱり似てるんだけどね
こんな面白いものを読み過ごしていた自分の思い込みを反省するが、オースターも40代でこの小説を書いており、50になってやっとその良さがわかったのかもしれない
今年も、明日で仕事納め
職場のデスクを綺麗に拭いて新年の準備をする
では、良いお年を
ねちっこいアービィングに食傷気味だった私には、レイモンド・カーヴァーに代表されるアメリカの乾いたポストモダン小説は新鮮で、ポール・オースターも新しい世界を見せてくれるかのように見えた
しかし、その内省的な文章を、古くからある玉ねぎの皮むきのような自分探しの一つに過ぎないと思い込み、さらにラテンアメリカや東ヨーロッパの新しい文学の新鮮さに出会ったこともあり、急に興味をなくしてしまった
そんなこんなで、未読になっていた偶然の音楽を読む
面白い!人生は君のものだという教えが、21世紀の悩ましき50代の心を癒してくれる
壁を作るという意味の見えない使役に主人公が拘束されるという展開は安部公房の壁そのものだが、時代も文化も異なり、全く違う面白さを提供してくれる
でも、やっぱり似てるんだけどね
こんな面白いものを読み過ごしていた自分の思い込みを反省するが、オースターも40代でこの小説を書いており、50になってやっとその良さがわかったのかもしれない
今年も、明日で仕事納め
職場のデスクを綺麗に拭いて新年の準備をする
では、良いお年を
青色のスポーツカーを買った
電気自動車の時代が来るかもしれないし、車に変わるもっと便利な移動手段が登場するかもしれないし、そもそも車を所有せずシェアーすることが主流になるかもしれない
さらに私は今年で五十路、と言うことで、おそらく、自分で運転する内燃機関の車を買うのはこれが最後になるだろうと感慨深く、しみじみと新車を撫でる
私は車を持つことが贅沢であった時代に育った世代なので、自分のお金で初めて車を買った時、初めて外車を買った時、初めて新車を買った時と、それぞれの思い出が日本の経済変遷とともに記憶に残っており、その最後のページに青いスポーツカーが描かれ、感傷的になっている
家族は車なんて、単なる移動手段としか思ってないので、全然興味は無いようだ
電気自動車の時代が来るかもしれないし、車に変わるもっと便利な移動手段が登場するかもしれないし、そもそも車を所有せずシェアーすることが主流になるかもしれない
さらに私は今年で五十路、と言うことで、おそらく、自分で運転する内燃機関の車を買うのはこれが最後になるだろうと感慨深く、しみじみと新車を撫でる
私は車を持つことが贅沢であった時代に育った世代なので、自分のお金で初めて車を買った時、初めて外車を買った時、初めて新車を買った時と、それぞれの思い出が日本の経済変遷とともに記憶に残っており、その最後のページに青いスポーツカーが描かれ、感傷的になっている
家族は車なんて、単なる移動手段としか思ってないので、全然興味は無いようだ
素晴らしいアメリカ野球 (新潮文庫)
2016年11月30日 読書
高校生以来の再読、内容を結構憶えていたことに驚き
破茶滅茶なストーリーがすごいスピード感で描写されていて、訳がわからないんだけど、最後までサクッと読めちゃう
皮肉たっぷりにアメリカをこき下ろしてるんだけど、こんな小説が書かれて読まれるなんて、それはそれでアメリカの良心を感じさせる
この小説が書かれてから40年、アメリカでもそして日本でも、「いつでも人が手に取れるようにしておいてほしい」、ほんとにそうですよね、春樹さん!
破茶滅茶なストーリーがすごいスピード感で描写されていて、訳がわからないんだけど、最後までサクッと読めちゃう
皮肉たっぷりにアメリカをこき下ろしてるんだけど、こんな小説が書かれて読まれるなんて、それはそれでアメリカの良心を感じさせる
この小説が書かれてから40年、アメリカでもそして日本でも、「いつでも人が手に取れるようにしておいてほしい」、ほんとにそうですよね、春樹さん!
雪の練習生 (新潮文庫)
2016年11月24日 読書
実に面白い。54年ぶりに11月に雪の降った東京で、読む
クヌートという実在した、ベルリンの動物園で人工哺育された白熊と、その母熊、祖母熊の自的伝小説。国境とは、言語とは、ジェンダーとは、家庭とは?生きている限り避けることのできない煩わしくも愛おしいテーマが入り乱れており、自然が理想的なものとして対置され、主人公たちが自然と人工(熊工?)の間で右往左往する
この作品、書下ろしではなく、文芸誌に三回に渡って連載された、いわゆる文芸誌小説だ。文芸誌小説は、一回の連載ごとに読み切りでも楽しめるように構成されており、さらに紙面の都合上、どうしてもスケールが小さくなる。 ぜひ、書き下ろしで、長さの制約なしで、この作者で、このテーマの作品を読みたい。それは小説が母語か外国語で書かれるかという問題より、現代の文壇が抱えている深刻な制約のような気がする
短編は短編で、気軽に楽しめていいんだけどね
クヌートという実在した、ベルリンの動物園で人工哺育された白熊と、その母熊、祖母熊の自的伝小説。国境とは、言語とは、ジェンダーとは、家庭とは?生きている限り避けることのできない煩わしくも愛おしいテーマが入り乱れており、自然が理想的なものとして対置され、主人公たちが自然と人工(熊工?)の間で右往左往する
この作品、書下ろしではなく、文芸誌に三回に渡って連載された、いわゆる文芸誌小説だ。文芸誌小説は、一回の連載ごとに読み切りでも楽しめるように構成されており、さらに紙面の都合上、どうしてもスケールが小さくなる。 ぜひ、書き下ろしで、長さの制約なしで、この作者で、このテーマの作品を読みたい。それは小説が母語か外国語で書かれるかという問題より、現代の文壇が抱えている深刻な制約のような気がする
短編は短編で、気軽に楽しめていいんだけどね
鈴木其一@サントリー
2016年10月20日 読書
上野で奇才たちに会ったその足で、六本木に王道の絵を見にゆく
光琳、抱一によって王道へ上り詰めた琳派の公認継承者、鈴木其一にサントリー美術館で会ってきた
時代は江戸、円熟した近世のその画風は今でも十分通用するが、西洋から近代文明が入って来たころ、時代から一度忘れられたというから、何が王道かは怪しいものだ
ただ、この王道、精錬されているということに間違いはなく、観ている側も迷いなく安心して対面できる
やっぱりこの人好きだ
光琳、抱一によって王道へ上り詰めた琳派の公認継承者、鈴木其一にサントリー美術館で会ってきた
時代は江戸、円熟した近世のその画風は今でも十分通用するが、西洋から近代文明が入って来たころ、時代から一度忘れられたというから、何が王道かは怪しいものだ
ただ、この王道、精錬されているということに間違いはなく、観ている側も迷いなく安心して対面できる
やっぱりこの人好きだ
ゴッホとゴーギャン展@上野
2016年10月19日 読書
19世紀の遅れてきた奇才に会いに上野へ行ってきた
展覧会は、若かりし頃のバルビゾン派を思わせる素朴な作品から始まり、パリに出て印象派や新印象派に出会った頃の明るく華やかな作品、そして、アルルでの共同生活前後お互いの個性を花開かせた全盛時の作品へ、そしてゴッホの強烈な自己表現とゴーギャンの野生への目覚めで締めくくられる。まるで、近代文明の変遷を見ているような錯覚を覚える。私たちはどこから来て、どこへ行こうとしているのか?
これからも、この二人が絵画の王道として認められる時代は来ないだろうが、近代文明に染まってきた過程で失ってしまった何かを私たちに気づかせてくれるという点で、忘れられることはないであろう
どの時代にも王道を歩んだものと異端に突き進んだものがおり、時代が過ぎても、その違いが作風に残っているのことは面白い。もしかしたら、私の頭の中の二項対立がなせる幻なのかもしれないが
展覧会は、若かりし頃のバルビゾン派を思わせる素朴な作品から始まり、パリに出て印象派や新印象派に出会った頃の明るく華やかな作品、そして、アルルでの共同生活前後お互いの個性を花開かせた全盛時の作品へ、そしてゴッホの強烈な自己表現とゴーギャンの野生への目覚めで締めくくられる。まるで、近代文明の変遷を見ているような錯覚を覚える。私たちはどこから来て、どこへ行こうとしているのか?
これからも、この二人が絵画の王道として認められる時代は来ないだろうが、近代文明に染まってきた過程で失ってしまった何かを私たちに気づかせてくれるという点で、忘れられることはないであろう
どの時代にも王道を歩んだものと異端に突き進んだものがおり、時代が過ぎても、その違いが作風に残っているのことは面白い。もしかしたら、私の頭の中の二項対立がなせる幻なのかもしれないが
ガール・オン・ザ・トレイン
2016年10月7日 読書 コメント (2)
最近、ずっと仕事関連の資料読みに追われて、趣味の本が全然読めてないことを反省し、リンク仲間のはにゃさん。の日記にあった、最近映画化された洋物サスペンスを読む
う~ン、肉食人種はやっぱり熱いね、それでいながら許せるのがすごい、聖母の世界。草食人種の観音様とは訳が違う
それに比べて、相変わらず男は反省しないろくでもない生き物らしい
駄目駄目男である私にとって痛いところを突かれており、なかなか感情移入しにくいが、適当な自分の毎日が、仕事でもプライベートでも、方便にまみれていることに改めて気づかされ大いに反省。言った本人にとって嘘は方便でも、言われた側には都合の良い嘘にしか聞こえない
サスペンスものとして楽しもうと読み始めたはずなのに、反省しきりで自分にとって教訓小説となってしまった
う~ン、肉食人種はやっぱり熱いね、それでいながら許せるのがすごい、聖母の世界。草食人種の観音様とは訳が違う
それに比べて、相変わらず男は反省しないろくでもない生き物らしい
駄目駄目男である私にとって痛いところを突かれており、なかなか感情移入しにくいが、適当な自分の毎日が、仕事でもプライベートでも、方便にまみれていることに改めて気づかされ大いに反省。言った本人にとって嘘は方便でも、言われた側には都合の良い嘘にしか聞こえない
サスペンスものとして楽しもうと読み始めたはずなのに、反省しきりで自分にとって教訓小説となってしまった
美藤さんに薦められていた野火を、映画の内容を忘れないうちにと、出張先のホテルで読む
200ページ弱と短く、一晩で読み切ることもできたのだが、映画との比較をしながら、三日かけてじっくり読む
三十年ぶりの再読であり、やはり詳しい内容はほとんど忘れていた
ただ、描かれていた戦場の悲惨さはおぼろげながら覚えており、よほどショッキングだったのだろう
戦場には軍人と兵隊がいて、戦後、生き延びた軍人は不都合を忘れ新しい時代を築こうとし、生き延びた兵隊は不条理を忘れることができず狂うばかりであり、兵隊からすれば戦争なんて堪ったものではない、もちろん例外もあったろうが、
そんな兵隊だった大岡はこの戦争の不条理を訴え、加えて、悲惨な戦場を舞台としたシュールな世界を描くことで、私たち人間がどこから来てどこへ行くのかという哲学の問題をも訴えかけずにはいられなかった
この遅れてきた近代的思惟は、神軍の兵隊をやめた戦後の大岡にとって、唯一の希望だったからだろう
200ページ弱と短く、一晩で読み切ることもできたのだが、映画との比較をしながら、三日かけてじっくり読む
三十年ぶりの再読であり、やはり詳しい内容はほとんど忘れていた
ただ、描かれていた戦場の悲惨さはおぼろげながら覚えており、よほどショッキングだったのだろう
戦場には軍人と兵隊がいて、戦後、生き延びた軍人は不都合を忘れ新しい時代を築こうとし、生き延びた兵隊は不条理を忘れることができず狂うばかりであり、兵隊からすれば戦争なんて堪ったものではない、もちろん例外もあったろうが、
そんな兵隊だった大岡はこの戦争の不条理を訴え、加えて、悲惨な戦場を舞台としたシュールな世界を描くことで、私たち人間がどこから来てどこへ行くのかという哲学の問題をも訴えかけずにはいられなかった
この遅れてきた近代的思惟は、神軍の兵隊をやめた戦後の大岡にとって、唯一の希望だったからだろう
三年前に植えた茗荷が成長し、今年から花芽をつけるようになった
というわけで、朝晩、地面に這いつくばって、まだ咲いていない花芽を探す
二日ほどサボると、花が咲いてしまい、食用としての価値を失ってしまう
花芽は匍匐茎から並んで順番に出てくるらしく、前日に収穫した場所の隣で花芽をよく見つける
しかし、収穫始めて三週間、もう何処で採ったか覚えてられず、這いつくばって必死に探す
ちなみに大葉はバッタに喰われてしまい諦めた
すっかり、夏だね!
というわけで、朝晩、地面に這いつくばって、まだ咲いていない花芽を探す
二日ほどサボると、花が咲いてしまい、食用としての価値を失ってしまう
花芽は匍匐茎から並んで順番に出てくるらしく、前日に収穫した場所の隣で花芽をよく見つける
しかし、収穫始めて三週間、もう何処で採ったか覚えてられず、這いつくばって必死に探す
ちなみに大葉はバッタに喰われてしまい諦めた
すっかり、夏だね!