ハング・オン、hang onという言葉を教えてくれたのは大藪晴彦の小説、汚れた英雄である。中学生のころ、あこがれの大人の世界を象徴する言葉であった。しかし、私が初めて二輪にまたがったのはずっと先のことで、大学生になってからである。それまで、周りにはバイクに乗っている人もおらず、夢は夢のままであった。大学生になっても、貧乏学生の私にとってバイクなど手が届かない贅沢品だった。3万円ほどの風呂なし共同トイレのアパートで生活していた私にとって、いかにして満腹になるかが毎日の関心事であった。そんな大学二年生の夏、友人が中型バイクに乗り換えるというので、彼の50ccのバイクを譲ってもらった。50ccでも私にとっては初めてのバイクであり、オートマのスクーターとは大きな違いであった。バイクをもらった当初は、用もないのに街にふらりと出かけたものだ。夜の表参道や青山通りを、タクシーに遠慮しながら、走っていく。少し遅いバイクデビューながら、夜の東京で風を切ることに夢中になった。そのときに思い出したのがカーブを曲がるときのハングオン、しかし、勇気のなかった私にはそんなことは夢のままで、自分では体を振っているつもりでも、写真で見ていたオートバイレースにおけるハングオンとは大違いであった。そのうち、私の興味は、他のもろもろのものへと移っていき、バイクも処分してしまった。しかし、自転車でカーブを曲がるときに、膝を直角に曲げ自転車ごと内側に倒しながらハングオンとつぶやく癖だけは、いまだに残っている。
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