日記を書くのは、元気な証拠である。充実した日々からこぼれ落ちる感情を、つらつらと書き留めることが、日記の楽しみである。しかし、今の私は完全にマイナス思考であり、溢れ出てくる感情というものは持ち合わせていない。高校生の頃、成熟するのが待ち遠しかったころにも、このような気持ちになった気がする。
秋である、キノコの季節だ。日頃は山になど興味を示さないのに、この季節になると山が恋しく思う。ブナが鬱蒼と生える谷や、シイが生える明るい斜面など、場所場所で生えるキノコは異なる。地面を見ながら、道なき道を進む、これがキノコ採りの醍醐味だ。とは言え、最期にキノコ狩りに行ったのは、5年以上前、私は都会で何をしてるのだろう。
以前、地方に住んでいたときは、暇を見つけてはドライブをしていた。夏なら海へ、秋なら山へ、冬なら温泉、春は山桜を見に。行動は、季節により決められていた。東京での生活は、無味乾燥である。庭木の百日紅を観賞したり、モクセイの香りに感動したりが、せいぜいである。それも、他人の庭の木であり、触れることもできない。こんなところで毒づいてもしょうがないのはわかっているが、そういう気分になることもわかってもらいたい。
ひとりごと、ひとりごと...
以前、地方に住んでいたときは、暇を見つけてはドライブをしていた。夏なら海へ、秋なら山へ、冬なら温泉、春は山桜を見に。行動は、季節により決められていた。東京での生活は、無味乾燥である。庭木の百日紅を観賞したり、モクセイの香りに感動したりが、せいぜいである。それも、他人の庭の木であり、触れることもできない。こんなところで毒づいてもしょうがないのはわかっているが、そういう気分になることもわかってもらいたい。
ひとりごと、ひとりごと...
ここ数日考えていることがある。きっと答えは見つからないだろうけど、ずっと考えている。それは、人は対象の多義的な意味を認めることができるのか?または逆説的に、人はどうして一つの意味しか考えることができないのかでもいい。人は考える脳を一つしかもっていない、私はリンゴのことを考えているときに、オレンジのことを同時に考えることはできない。リンゴのことを考えてから、オレンジのことを、つまり同時ではなく順番に考えているのである。ほとんどのものは多義的であり、見る者の視線により、その意味は大きく変わる。人は一つの脳しかなく、一つの視線でしか見ることは出来ない。複眼的視野を持って考えることは可能なのだろうか。そのときに見えていることと、ただ一つの視野にのって見えるものは違うのだろうか。
他人のセックスについて、それも三十を過ぎた男性の性のお話など、聞きたくもないという方は多いはずである。そのような方は決して読まないようにしていただきたい。
私は性欲が強い方であると自認している。中学一年生で精通してからというもの、射精を我慢した日は、ひと月に数日というペースでやってきた。もちろん夢精などというものは体験したこともなく、ひそかな楽しみとして初体験をとっているのである。もともと、好奇心が旺盛な方でもあり、性に関する一通りのことは体験済みである。SMにはじまり、アナル、フィスト、もちろん同性とのセックスも。そんな私が、先日ふとしたことで、セックスをしながら食事をしたことがないことに気がついた。そんなこと、気づくほどのたいしたことでもないが、気になってしょうがない。こんなつまらないことを、パートナーに言うわけにもいかず、いつも遊んでくれている慶子に相談した。彼女も、暇をしているらしく、こころよく興味を持ってくれ、さっそく実践することに。
横浜の眺めがきれいなホテルを予約し、デパ地下で買いそろえた和洋中入り交じりの食事を持って部屋へ。まずは、久しぶりの再会を祝うため、風呂に入りながら彼女は軽くビールを、アルコールがからっきしダメは私はジンジャーエールを。お互いの仕事のこと、家族のこと、自分たちの野望のことなど、心を許している友人だからこそできる会話を楽しむ。かれこれ1時間ほどバスタブに入っていたか、そろそろお腹も空いてきたしと、当初の目的に。私がソファーに座り、お互いが向き合った状態で、彼女は私の上にのぼり、ゆっくりと私のものを納める。彼女と私の相性はほぼ完璧であり、彼女と合体するたびに、この女とどうして私は結婚をしなかったのかと、不思議に思う。結びついた私たちは、ゆっくりと食事を始めた、冷製のカボチャのスープに始まり、棒々鶏、パンとチーズを頬張り、生麩の入った煮物に舌鼓を、どれも冷めてもおいしいものを選んだ。体は十分に火照っており、食事は冷たいもので十分である。冷たいものにあきれば、キスをして相手の熱い唇を味わうのもよし。デザートの生菓子まで1時間強、私は彼女の中にしっかりとアンカーを打ち続けたのである。そして、食欲と性欲を満喫した私たちは、子供のように眠りに落ち、もう一つの生理的欲求も満たしたのである。
私は性欲が強い方であると自認している。中学一年生で精通してからというもの、射精を我慢した日は、ひと月に数日というペースでやってきた。もちろん夢精などというものは体験したこともなく、ひそかな楽しみとして初体験をとっているのである。もともと、好奇心が旺盛な方でもあり、性に関する一通りのことは体験済みである。SMにはじまり、アナル、フィスト、もちろん同性とのセックスも。そんな私が、先日ふとしたことで、セックスをしながら食事をしたことがないことに気がついた。そんなこと、気づくほどのたいしたことでもないが、気になってしょうがない。こんなつまらないことを、パートナーに言うわけにもいかず、いつも遊んでくれている慶子に相談した。彼女も、暇をしているらしく、こころよく興味を持ってくれ、さっそく実践することに。
横浜の眺めがきれいなホテルを予約し、デパ地下で買いそろえた和洋中入り交じりの食事を持って部屋へ。まずは、久しぶりの再会を祝うため、風呂に入りながら彼女は軽くビールを、アルコールがからっきしダメは私はジンジャーエールを。お互いの仕事のこと、家族のこと、自分たちの野望のことなど、心を許している友人だからこそできる会話を楽しむ。かれこれ1時間ほどバスタブに入っていたか、そろそろお腹も空いてきたしと、当初の目的に。私がソファーに座り、お互いが向き合った状態で、彼女は私の上にのぼり、ゆっくりと私のものを納める。彼女と私の相性はほぼ完璧であり、彼女と合体するたびに、この女とどうして私は結婚をしなかったのかと、不思議に思う。結びついた私たちは、ゆっくりと食事を始めた、冷製のカボチャのスープに始まり、棒々鶏、パンとチーズを頬張り、生麩の入った煮物に舌鼓を、どれも冷めてもおいしいものを選んだ。体は十分に火照っており、食事は冷たいもので十分である。冷たいものにあきれば、キスをして相手の熱い唇を味わうのもよし。デザートの生菓子まで1時間強、私は彼女の中にしっかりとアンカーを打ち続けたのである。そして、食欲と性欲を満喫した私たちは、子供のように眠りに落ち、もう一つの生理的欲求も満たしたのである。
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今日も考えてしまったどうでもいいことを、僕はこの階段を何回登ったのかと。今の職場に移ってから4年、会社に関わるすべての景色に新鮮みを感じなくなってしまう時期なのか。
毎年変わらぬ春がくるように、生活の一部がパターン化することは不思議なことでもなく、イケナイことでもない。桜を見て春を感じるように、階段を見ながら今日の仕事の手順を考えよう。午前中に、溜まった資料を読みこなし、必要ならばメールを出そう。昼には、評判のフレンチレストランがやっているパン屋さんでサンドイッチを買い、外で食べるのも悪くない。午後には、新人研修が三時間、仕事だけでなく色々なことを教えてあげよう、仕事がイヤになったときにどうするべきか。人生は悪くないと呪文を唱えながら。
毎年変わらぬ春がくるように、生活の一部がパターン化することは不思議なことでもなく、イケナイことでもない。桜を見て春を感じるように、階段を見ながら今日の仕事の手順を考えよう。午前中に、溜まった資料を読みこなし、必要ならばメールを出そう。昼には、評判のフレンチレストランがやっているパン屋さんでサンドイッチを買い、外で食べるのも悪くない。午後には、新人研修が三時間、仕事だけでなく色々なことを教えてあげよう、仕事がイヤになったときにどうするべきか。人生は悪くないと呪文を唱えながら。
彼女と別れてしばらくは、ひどく荒れた生活をしていた。昼間から酒を飲んだり、女の子を引っかけてはアパートに連れ込んでみたり。友達の彼女にもたくさん手を出した。その中の一人、マキちゃんとの思い出の話である。マキちゃんは神奈川出身の女の子だった。マキちゃんとその彼氏と私は、バイト先が同じであり、同学年のため、とても仲良かった。僕と彼氏は大学院に進学し、彼女は保険会社に就職していた。理由は忘れたが、マキちゃんと彼氏の仲がうまくいってなかった時期と私が彼女と別れた時期がちょうど一緒だったのだ。一人でのんびりと充電しようと思っていた時期が重なったのだ。ただ、彼女はずっと年上の離婚歴のおじさんと付き合い始めていたのか、そのことでも悩んでいたようだ。ぽっかりと空いたお互いの心の隙間に、お互いの手がすっぽりと入ったのだ。ただ、彼女との別れ方から想像するに、当時の私はまだまだ未熟な人間であった。
そんな彼女との別れの話である。ずっと好きで、結婚して、おばあちゃん、おじいちゃんになるまで一緒にいようなどと、勝手に夢見ていた。しかし、彼女は、私の夢想の他にも世界を持っていたのだ。まだ二股なんて言葉を知らなかった私はショックであった。もちろん、今の私は、彼女には彼女の理由があったのだと理解することができる。世の中には絶対なんてないことを教えてくれたのも彼女であり、彼女が私に最後に教えてくれたことである。
彼女の話の続きである。彼女の何に惹かれたのかと聞かれても困る。外見は平凡であった。美人でもなく、プロポーションもすばらしかったわけでない。また、お金持ちだったわけでもなく、人間ができていたわけでもない。私との別れ方から想像するに、どちらかというと未熟な人間だった。
ただ、彼女は実に色々なことを教えてくれた。レストランでの予約の取り方に始まり、笑い方、泣き方まで、今私が知っていることのかなりの部分は彼女から吸収した。ちょうど私が外の世界を知りいろいろなことを吸収する時期に、付き合っていたのが彼女であるというだけの話かもしてない。しかし、多感な時期に付き合っていた彼女が、私の自己形成に大きな影響を与えていることは事実であり。やはり、彼女抜きには今の私を語ることはできないのだ。私は、彼女と過ごした私の時間が好きで、彼女とのことが忘れられないのかもしてない。
ただ、彼女は実に色々なことを教えてくれた。レストランでの予約の取り方に始まり、笑い方、泣き方まで、今私が知っていることのかなりの部分は彼女から吸収した。ちょうど私が外の世界を知りいろいろなことを吸収する時期に、付き合っていたのが彼女であるというだけの話かもしてない。しかし、多感な時期に付き合っていた彼女が、私の自己形成に大きな影響を与えていることは事実であり。やはり、彼女抜きには今の私を語ることはできないのだ。私は、彼女と過ごした私の時間が好きで、彼女とのことが忘れられないのかもしてない。
私のうじうじとした性格の根元となっている20年前の彼女の話である。当時大学生だった私はバックパックを背負いヨーロッパを旅行していた。イベリア半島のその国で彼女に出会った。ずっと一人で旅行していた私は、久しぶりに出会った日本人である彼女とその友達の二人連れに声を掛けた。最初は、簡単な挨拶から始まり、旅の情報を交換した。ふた月ばかり旅行していた私の財布は底をつき始め、数日後にその国をあとにする彼女の財布にはその国の紙幣が余っていることがわかった。私がその紙幣をもらい、日本に帰国後、円建てで返すということで話がついた。帰国後、彼女に会いお金を返すとともに、次のデートの約束をした。本当に好きになった最初の女の人との出会いの話である。
だからどうしたという話であるが、これがチャットでの出会いでは、こんなに思い出として残っていないであろう。いいえ、残っていたとしても、全然違う印象として残っているのであろう。記憶の差別化である。
だからどうしたという話であるが、これがチャットでの出会いでは、こんなに思い出として残っていないであろう。いいえ、残っていたとしても、全然違う印象として残っているのであろう。記憶の差別化である。
私はうじうじとした性格であると思う。未だに20年前の彼女のことが忘れられない瞬間があり、そんな時にそう思うのだ。私が毎日通勤に乗っている地下鉄は、彼女の家の真下を通る。ふと、疲れたときなど、そこへもう一度行きたいと考えるときがある。昔のように、最寄りの駅で降りて、彼女の家の方へ歩いていきたいという衝動である。ブラッドベリーの塀の扉ではないが、そこへ行けば、昔のよかった時間を過ごせるのではないかと期待して。もちろん、当時の私は幸せな時間だけを過ごしていたわけではなく、つらいこともたくさんあった。その場所には都合のいい記憶が残っているだけなのに、今も未練がましくその場所に執着する。やはり、私はうじうじした男である。
私の青春時代だから、もう二十年前の話である。東京の大学に入学し、はるばる地方から出てきたばかりのことである。東京のこともよくわからず、大学と下宿を往復する日々であった。ある日、クラスの子から、新入生を対象としたダンスパーティーに誘われた。確か、六本木のディスコが会場だった。おしゃれな服を持ちあわせてなかった私は、なんの変哲もないオリーブ色のチノパンに赤の格子のボタンダウンで、髪の毛は後ろに自然に流し、真ん中で分けていた、いわゆる俊ちゃん風である。ズボンはよれよれで膝が出かかっており、シャツには洗っても取れない染みがいくつか付いていたが、できるかぎりのおしゃれである。パーティーでは緊張しっぱなしであり、どんな曲がかかっていたかも、何を飲んだかも憶えていない。パーティーが終わりになるにつれ、フロアーはまばらになってきた。確かその少し前にチークタイムがあり、女の子と親密に話せるような企画があったのだと思う。そして気の合った者同士から二次会へ抜けていったのだ。僕も何人かの女の子と踊り、ぎごちない会話をしたように思う。そして、次の記憶では女の子二人組と一緒に地下鉄に乗って家路に向かっていた。今の自分なら、お茶でもしていこうかと、気軽に声を掛けられるが、当時の僕にはそんな考えは思い浮かばず、途中の駅でバイバイと別れてしまった。電話番号を聞くこともできずに、唯一聞けたのは大学の名前だけだった。それは、ある私鉄沿線にあるこじんまりとしたミッション系の女子大であった。彼女たちも少しは期待していたに違いない、それなのに相手の男は自分の帰りの地下鉄の乗り換えを教えてもらってバイバイである。
もちろん、彼女たちとの話に続きはなく、その女子大との接点もその後の私の人生では全くない。それなのに、その名前は、僕のなかでは少し意味を持っている。甘酸っぱい思い出の名前であり、当時その女子大があった駅を電車で通過しただけで、未だに胸がキュンとしてしまう。
もちろん、彼女たちとの話に続きはなく、その女子大との接点もその後の私の人生では全くない。それなのに、その名前は、僕のなかでは少し意味を持っている。甘酸っぱい思い出の名前であり、当時その女子大があった駅を電車で通過しただけで、未だに胸がキュンとしてしまう。
私はかなりのこだわり屋であり、悪く言えばねちっこい性格である。口論を始めると、自分の主張が通るまでがんばってしまう。何度相手にいやな思いをさせてしまったことか、そして泣かせてしまったことか。そのため、オープンでさばさばとした性格の人に憧れる。そんな私でも、歳とともに丸くなりはじめ、諦めが早くなったと言われる。「OK!それでいきましょう」と素直に言えるようになったのだ。
昨日も、同僚とつまらぬことで言い合いになった。最後は、こちらが折れて、すみません僕のではなくあなたのアイデアでいきましょうと、提案した。しかし、その後、上司を含め三人で話を詰めると、あっけなく私のアイデアが通ってしまった。あれほど突っぱねていた彼が、上司の一言で、簡単に翻ったのだ。信じられないと叫びたくなったが、ぐっと我慢した。今でも悔しく、納得のいっていない私は、ねちっこい性格がまだ治っていないようだ。私のアイデアが通ったのだから、いいじゃないか。
昨日も、同僚とつまらぬことで言い合いになった。最後は、こちらが折れて、すみません僕のではなくあなたのアイデアでいきましょうと、提案した。しかし、その後、上司を含め三人で話を詰めると、あっけなく私のアイデアが通ってしまった。あれほど突っぱねていた彼が、上司の一言で、簡単に翻ったのだ。信じられないと叫びたくなったが、ぐっと我慢した。今でも悔しく、納得のいっていない私は、ねちっこい性格がまだ治っていないようだ。私のアイデアが通ったのだから、いいじゃないか。
この日記には、悲しいこと、嬉しいこと、怒ったことなど、私の心に起きた起伏のうち、声に出して言うことがはばかれることを書いている。どうしてはばかれるかというと、おもに二つの理由が挙げられる。一つはどうでもよいことであってわざわざ言う必要がない、もう一つは秘密であるためだ。さらに言えば、ここに書くことさえはばかれることもあるのだ。理由は同じであり、それほど私の心は闇なのだ。
ある地方に出張で行ってきた。新幹線から乗り換えて数駅の在来線の小さな駅に降り立つと、目の前は海であった。最近工事をしたらしく、長く真新しいホームがまぶしかった。改札を出ると、駅前には売店が一軒とタクシー乗り場があるだけだ。迎えの車はまだ来てなく、タクシー乗り場のベンチに座り、待つことにした。、空を見上げながら昨日の出来事を思い出していた。出張は今日からだが、家を出たのは一日前のことである。その一日は、ある女性と会うためである。仕事がらみの会合で知り合ったときから、お互いに結婚していることを知っていた。初めのうちはたわいもないメールのやり取りから始まり、仕事の愚痴、日常のわずらわしさといったものを交換しあうようになった。お互いの住んでいるところの中間地が逢引の場所に選ばれた。ここから数駅新幹線で行った地方都市である。昨日の夕暮れ時、別れ際の彼女が子供のようにいやいやと駄々をこねていたのを思い出した。僕と彼女はある決まりごとをつくっていたのだ。二人で会っているときは、お互い子供に戻り、相手にわがままを言うことを許しあおうと。四十路を過ぎた彼女のいやいやがとても艶かしく思い出され、私の左腕には彼女がつかまっていた感触が微妙に残っていた。
ココロのあるセックス
2004年6月7日 ひだ 私だってカラダを求めたいときがある。同時に、ココロを求めたいときもあれば、そうではなく、単にカラダだけを求めたいときがある。
一つの解決策はオナニーである。男の子はいくつになっても、彼女がいても、結婚してても、オナニーをやめることは出来ないと信じているし、私はその実践者である。ただ、これについては個人差が大きく、全くしないものもおれば、30過ぎても毎日しないと我慢できない人もいる。実践者である私は後者に近い。
もう一つの解決策はココロのないセックスをすることである。風俗にいく場合もあれば、友達やナンパでその目的を済ますケースもある。そういう友達を、セフレや「都合のいい女」と最近は称するらしい。私にとってこの呼び名には抵抗がある。その関係がどういうものだったのか?ということは、関係が終わってしまった後で、結果的に言えることである。もしかすれば、セフレとの関係も全然違うものになったかもしれない。すなわち、結果ではなく、過程を重要視すれば、セフレなんて存在しないのだ。。過程では、どんなセックスでも、どんな関係でも、どう転ぶかわからないのである。そしてセックスの最中は、相手が誰であれ、世界の中の誰よりもその相手のことをいとしく思うものである。その思いがおちんちんを大きくするのだから、これは立派なココロあるセックスだと信じている。ただ、その考えも風俗に応用することは危険である。
一つの解決策はオナニーである。男の子はいくつになっても、彼女がいても、結婚してても、オナニーをやめることは出来ないと信じているし、私はその実践者である。ただ、これについては個人差が大きく、全くしないものもおれば、30過ぎても毎日しないと我慢できない人もいる。実践者である私は後者に近い。
もう一つの解決策はココロのないセックスをすることである。風俗にいく場合もあれば、友達やナンパでその目的を済ますケースもある。そういう友達を、セフレや「都合のいい女」と最近は称するらしい。私にとってこの呼び名には抵抗がある。その関係がどういうものだったのか?ということは、関係が終わってしまった後で、結果的に言えることである。もしかすれば、セフレとの関係も全然違うものになったかもしれない。すなわち、結果ではなく、過程を重要視すれば、セフレなんて存在しないのだ。。過程では、どんなセックスでも、どんな関係でも、どう転ぶかわからないのである。そしてセックスの最中は、相手が誰であれ、世界の中の誰よりもその相手のことをいとしく思うものである。その思いがおちんちんを大きくするのだから、これは立派なココロあるセックスだと信じている。ただ、その考えも風俗に応用することは危険である。
私にも心のひだがある。一見穏やかそうに見えるその心も、ひだを広げて観察するといろいろなものが見えてくる。ここ日記ログには、おおらかに心のひだを広げ、カミングアウトなさっている方がたくさんいらっしゃる。匿名性があるとはいえ、あまりにものおおらかさに、この人には露出癖があるのではと思いたくなるケースもある。もちろん、私にもその心のひだを思い切り広げ、見て見てと、ひとりはしゃぎたくなることもある。
私には昔からの女友達が一人いる。僕は結婚しているが、彼女はしていない。僕たちの間に、友情は存在するが、男女間の関係はない。彼女に性的な興奮を覚えないのがその原因である。同様に彼女は僕にセックスアピールを感じないらしい。そんな彼女とは定期的にデートをしている。おいしいレストランが見つかったとか言って、一緒に食事をしたり、ボーリングに行ったり、いわゆるお友達のデートであり、終電前にはお休みなさいと言って別々の寝床に帰る。一度だけ彼女と抱き合ったことがある。車の中で、キスもない、純粋な抱擁だった。30分ほど抱き合ったままでいたか。その時、彼女は不倫相手との関係が、相手の奥さんにばれて、奥さんに泣きつかれて困っていると、私に泣きついてきたのだ。よしよし、わかったと彼女を抱いて慰めたのである。そのときの彼女は暖かな人肌を欲していたのであろう。
私には昔からの女友達が一人いる。僕は結婚しているが、彼女はしていない。僕たちの間に、友情は存在するが、男女間の関係はない。彼女に性的な興奮を覚えないのがその原因である。同様に彼女は僕にセックスアピールを感じないらしい。そんな彼女とは定期的にデートをしている。おいしいレストランが見つかったとか言って、一緒に食事をしたり、ボーリングに行ったり、いわゆるお友達のデートであり、終電前にはお休みなさいと言って別々の寝床に帰る。一度だけ彼女と抱き合ったことがある。車の中で、キスもない、純粋な抱擁だった。30分ほど抱き合ったままでいたか。その時、彼女は不倫相手との関係が、相手の奥さんにばれて、奥さんに泣きつかれて困っていると、私に泣きついてきたのだ。よしよし、わかったと彼女を抱いて慰めたのである。そのときの彼女は暖かな人肌を欲していたのであろう。