かなりの遅レスであるが、はにゃさんのかなり前の日記、化学繊維へのなんとなくの違和感を意識して、少し思うところを
このあいだの世紀の変わり目、「二十世紀は?」という問いかけに、化学の世紀という答えがあった
ナイロンやポリエチレンに代表されるプラスチック素材、セラミックス、シリコンも、それに合金だって忘れちゃいけない、これら様々な化学合成品は私たちの生活になくてはならないものになった
さらに驚くのは、天然素材の代用品から始まったこれらの化学合成品が今では天然素材を超える機能をもっていることだ
しかしである、はにゃさんが指摘するように、何かはまりの悪いもやもやとしたものが残っており、これら化学合成品を素直に受け入れるのには抵抗がある
食品についても同じようなことが言える
味を演出するうまみ調味料や酸味料に始まり、まろやかな食感を演出する増粘安定材や乳化剤などなど、食品の場合、化学合成品ではなく天然物を素材とする加工品であることが多いが、その製造工程でやはり化学の恩恵を受けているのは事実である。そして、食品でも、なぜか割り切れないものが残り、無添加などと書いているものに自然に手が伸びてしまう
これら違和感への答えとしていろいろ考えてみた
一つは自分たちが知っていた時代へのノスタルジーである。つまり、まだ化学合成品の質が粗悪で、高級な天然素材へのあこがれが健全だったころへのノスタルジーである。つい最近まで、シルクやカシミアは高級品としてその威光をいかんなく発揮しており、化学製品への上から目線は我々の遺伝子に染み付いているのだ
そしてもう一つは自然への原理主義である。この原理主義、古くはソールベローの森の生活に始まり、最近ではガイアなど、自然が崇高で一番、理由なんてあるわけないじゃん、当たり前じゃん、というあれである。ウィキペディアによると「自然に訴える論証」というらしい。


コメント

はにゃ。
2009年7月17日10:56

そうなんですよねー。おっしゃる通りに『何かはまりの悪いもやもやとした』感じ、なんですよね。

それから、自分自身アレルギー体質ですが、人工的な添加物を一杯摂った私たちの世代の子供達がアトピーにひどく苦しんでいるのも、何かの関係がある様な気がしてならないんですよ。

原理主義、ねぇ・・・。確かに・・・。ふむ。原理主義自体には少々抵抗がありますが、否定できない感がありますね。

はち
2009年7月18日0:50

化学製品への何かはまりの悪いもやもやとした感じに対して、天然物への確固たる信頼感も否定できないんですよね。でも、コストパフォーマンスという関西人が好みそうな価値観が登場してからというもの、化学製品も捨てがたいんだな。

最新の日記 一覧

<<  2025年7月  >>
293012345
6789101112
13141516171819
20212223242526
272829303112

お気に入り日記の更新

日記内を検索