政府の大きなプロジェクトなど、本質とは関係のない政治的な味付けがないと進まないと信じている。黴臭い需要予測のまま計画が進められるダムや道路の建設しかり、流行に左右されやすい環境関連のプロジェクトしかり。宇宙ステーション「きぼう」も同じカテゴリーに入り、今さらこんなところで何の実験をするんだか?と、かなり鼻白んだ気分で見ていた。ただ、準備に十年以上かかる大型プロジェクトに途中から批判するのは簡単なことであり、歴史的な意味合いを含めて長い目で評価してやれとの意見もある。それでも、この「きぼう」プロジェクト、たしかにシャトルもステーション本体もアメリカに押さえられてるとはいえ、日本の主体性と独自性がもうちょっと出せなかったのかと悔やまれる。あるプロジェクトの計画書を書きながら、悔やまないことを祈る。
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