時代的にも、テーマ的にも、そして回想の形を取っていることも含め、エーコの「薔薇の名前」にすっごく似てる。形式にうるさい権威主義がどんなに跋扈しようが、洋の東西を問わず、自我の芽生えを誰も止めることはできない。その芽が赤い立派な薔薇になることはまれかもしれないが、個人にとっちゃ、薔薇が立派かどうかなんて、さらに言えば、咲こうか咲くまいが枯れようが関係ない。
読書中、似ていることは全然気にならず、読後のデジャブー感で、似ていることに気づく。
そして何より、写本や開かずの書庫が登場するのも似ており、本、図書館好きにはたまらない。
グーテンベルク聖書が作られる前、まだまだ写本が主流だった時代の細密画のすばらしさは、鶴岡真弓の本でケルト関連のものを知って以来、気にはなってはいたが、そう言えば、オスマン帝国の写本を見た記憶がほとんどなく、作中の細密画にピンとこないところが難。一応、表紙に少しはあるが、トルコに疎い国の翻訳本の扉にはオスマン帝国のすばらしい細密画が載っててもいいかなと。でも、そんな立派な薔薇を載せるべきでないのかもと、最後のほうではこんなトートロジーが延々繰り返され、絶対主義における迷える子羊たちが見事に描かれている
ちなみに、私の勝手な妄想だが、オスマン帝国と言えば赤いチューリップの描かれた青いタイル絵、なぜ赤い薔薇なんだろう、赤いチューリップじゃないんだ
やっぱり、エーコを意識してるのかな
読書中、似ていることは全然気にならず、読後のデジャブー感で、似ていることに気づく。
そして何より、写本や開かずの書庫が登場するのも似ており、本、図書館好きにはたまらない。
グーテンベルク聖書が作られる前、まだまだ写本が主流だった時代の細密画のすばらしさは、鶴岡真弓の本でケルト関連のものを知って以来、気にはなってはいたが、そう言えば、オスマン帝国の写本を見た記憶がほとんどなく、作中の細密画にピンとこないところが難。一応、表紙に少しはあるが、トルコに疎い国の翻訳本の扉にはオスマン帝国のすばらしい細密画が載っててもいいかなと。でも、そんな立派な薔薇を載せるべきでないのかもと、最後のほうではこんなトートロジーが延々繰り返され、絶対主義における迷える子羊たちが見事に描かれている
ちなみに、私の勝手な妄想だが、オスマン帝国と言えば赤いチューリップの描かれた青いタイル絵、なぜ赤い薔薇なんだろう、赤いチューリップじゃないんだ
やっぱり、エーコを意識してるのかな
コメント
この書き出しの一行で引き込まれて読みました。
登場人物ひとり一人が(時には木や犬までが)、読者である私に語りかけてくるような文体が不思議な感触を残して、とても面白かったです。
なぜバラなのかはわかりませんが、トルコのチューリップは神の化身だそうですから、王の死をチューリップが枯れたとは表現できないかなーなどと思いました。
「薔薇の名前」に似ているのですね。やっぱり読まなくては!
トルコのチューリップは、日本の榊みたいなもの!?
「薔薇の名前」に似ているようで、似てないんだけど、やっぱり似てる(笑
世界中の神話が、構造的には似ているけど、風土に合わせた多様な雰囲気を持っているように