ずっと気になっていた現代スペイン文学
限りなく詩に近い散文、すいすいと通勤電車のなかで読む
その詩的言葉の力強さは驚くべきものであり、柴田元幸の推薦文、
『「悲しみ」や「喪失」といった言葉はこの小説には必要ない。悲しみや喪失は、ここには空気のように偏在しているから。なのに、なぜ、すべてがこんなにも美しいのだろう?』に納得
辞書的な意味を超越し、最小限の詩的表現によって紡ぎだされた世界は水墨画のように力強く美しい
同じスペインの北西部出身なのに、カミーロ・ホセ・セラの饒舌で楽天的な作品とは対照的で、静謐でもの悲しい、世代の違いなのか、海岸育ちと内陸育ちの違いなのか?
テーマはニーチェ風「神無きの世界」をあつかっており、このテーマ自身二度の大戦を経験したヨーロッパ人にとってはかなり普遍なテーマで、とりわけ、第二次世界大戦後も独裁政治が永きにわたって続い たスペインでは神の作りたもうた人民無き世界は深刻な問題で、フランコ亡きあとそれを扱った文学、映画、詩が雨後のタケノコのように発表されている。フラ ンコが居なくなくなったからといって神が復活するわけではなく、経済がもの言う時代、神無き世界は継続し、非効率的な複合農業によって支えられてきた田園 風景は見捨てられてしまったと読むのは深読み過ぎか
ところで、アリス・マンローの小説の題名にもなっているイラクサが作中に頻出するのだが、この草は欧米では一般に認識されているのだろうか?
日本にも近縁の種が自生しているらしく、名前を聞いたことがあるが、野で実際に見たことはない
限りなく詩に近い散文、すいすいと通勤電車のなかで読む
その詩的言葉の力強さは驚くべきものであり、柴田元幸の推薦文、
『「悲しみ」や「喪失」といった言葉はこの小説には必要ない。悲しみや喪失は、ここには空気のように偏在しているから。なのに、なぜ、すべてがこんなにも美しいのだろう?』に納得
辞書的な意味を超越し、最小限の詩的表現によって紡ぎだされた世界は水墨画のように力強く美しい
同じスペインの北西部出身なのに、カミーロ・ホセ・セラの饒舌で楽天的な作品とは対照的で、静謐でもの悲しい、世代の違いなのか、海岸育ちと内陸育ちの違いなのか?
テーマはニーチェ風「神無きの世界」をあつかっており、このテーマ自身二度の大戦を経験したヨーロッパ人にとってはかなり普遍なテーマで、とりわけ、第二次世界大戦後も独裁政治が永きにわたって続い たスペインでは神の作りたもうた人民無き世界は深刻な問題で、フランコ亡きあとそれを扱った文学、映画、詩が雨後のタケノコのように発表されている。フラ ンコが居なくなくなったからといって神が復活するわけではなく、経済がもの言う時代、神無き世界は継続し、非効率的な複合農業によって支えられてきた田園 風景は見捨てられてしまったと読むのは深読み過ぎか
ところで、アリス・マンローの小説の題名にもなっているイラクサが作中に頻出するのだが、この草は欧米では一般に認識されているのだろうか?
日本にも近縁の種が自生しているらしく、名前を聞いたことがあるが、野で実際に見たことはない
コメント
実在する植物なのに「これがイラクサ」と、ちゃんと認識したことがないからですね。
子供の頃に読んだアンデルセンの「白鳥の王子」で知ったのが最初だからだと思うのですが、イラクサというのは西洋のものというイメージがあります。
日本のものは荻原葉子の「蕁麻の家」という作品タイトルの蕁麻。
我が身に棘することどもの譬えで使われることは同じなので、植物学的にも文学的にもやはり近縁なのでしょうけれど。
片仮名の「イラクサ」の文字と、声にした時の音が好きです。
この作品でも、世界を呑み込んでいくイラクサが利いていますよね
「眠りの森の美女」で城を覆ってしまうイバラみたいなもの!?
ちなみに野で普通に認識しているノイバラの音が、私は好きです