昔はラテン語や漢語などといった決まった言語でのみ文章が書かれていたらしい。それが,様々な言語で物語が書かれるようになり他言語への翻訳が行われるようになると,翻訳の技術や著者とは別人である翻訳者の思考が問題となる。さらには,翻訳を飛び越え,母語以外の言語で文を書くことの意味も問われるようになってくる
その母語以外の言語で書く場合,植民地出身者が宗主国の国語で書くという外の力が加わっていることもあれば,この作者のように大人になってから習得した言語で自ら進んで書こうとするときも
そしてこの本では,イギリス生まれでアメリカ育ちのベンガル人が母語でないイタリア語でものを書く齟齬感の楽しみが紹介されている。これまで彼女は移民である自分がべつの場所にいる感覚にこだわっており,その延長線上の話でもある

ただ,ややこしいのは
著者が母語以外の国の言葉で書いたものを,他者である翻訳者がさらに違う言語に訳しており,齟齬感が母語以外で書かれたときに出たものか,それとも翻訳の際に出たものか,区別がつかなくなっていることである

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