写真はリアルでありながらフェイクであるというという矛盾をはらんだ表現手段であり、現代では、その特性を使ったプロの芸術家による作品が次々と発表され、建築とともに絵画や彫刻といった正統派の美術の仲間に入れてもらえるようになった
写真が美術の仲間に入れてもらえるようになった歴史は苦難に満ちており、誰が撮っても同じではと非難され、何枚でも刷れる写真にオリジナリティーはあるのかと中傷されてきた。これら絵画のやっかみを乗り越えて、写真は単なる記録ではないと認められようになった
それはスティーグリッツが伴侶であるオキーフを撮り、マン・レイが前衛作品を撮り、ウォーカー・エヴァンスが市井の人を撮り続けたからだろう
そんな写真黎明期の無名の女性写真家のドキュメントを見る
ドキュメントでありながら、謎が多く、監督独自の解釈が入り、フィクション仕立てに
彼女の作品が美術なのか記録なのか微妙なところで、さらに、全部が監督の創作ではないかと疑いたくもなるが、
それも含めて、入れ子構造で、創作に関して素人とプロの垣根が無くなりつつある現代という時代について考えさせられる
ややこしくて、まどろっこしいが、こういう映画、嫌いではないです

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