永遠の門 ゴッホの見た未来
2019年12月4日 日常
時代を先取りし過ぎて、同時代の人々に理解されなかったゴッホの感性はどこからきたのかと言う謎に迫ろうとした映画
ウィレム・デフォー、ストリート・オブ・ファイヤーの時のカッコ良さはどこかへ行ったが、相変わらず良い味出してます
マッツ・ミケルセンも良い味出してます
「蜜蜂と遠雷」がそうであったように、表現者を知りたければ、作品を観たり聴いたりするのが手取り早い。ゴッホの何たるかを知りたければ、美術館へ行き、解説板で必要最低限の情報を仕込んで、作品と対峙するのが一番良い
作品と対面すると、その感性は言葉で語りかけてくるのではなく、光を通して私の感性を震わせ、私は感動する
人間は欲張りなもので、素晴らしい感性に触れた時、素直に感動してれば良いものを、お節介なことに、その感性がどこから来たのかと知りたくなる
だからこの映画では、映像とセリフで登場人物の行為を丁寧に再現して、表現者の内面に迫り、表現者の感性がどこから来たのか探ろうとする
しかし、死んでしまった表現者の日常や内面が理解できるとは限らない、いやいや、表現者自身が理解してなかった可能性も高い
こうなると困ったもので、玉ねぎの皮むきのように、話はどこにもたどり着かない
そこで、映画は、ゴッホの死の謎という別の謎へシフトしながら、当時のゴッホは理解されなかったんだけど、ゴッホの視線は未来の僕たちには評価されてているという美の永続性へ話題を向ける。チコちゃん風に言えば、「ゴッホの絵に感動するのは昔も今も光が変わらないから〜」なんてことか
いやいや、この映画をお勧めするか、美術館へ行った方が良いとアドバイスするか、悩まし〜
それでもゴッホがどこから来たのか知りたい人は、眠くなるのを覚悟して行ってください(笑
黄色と青色が美しくて、幸せな時間が過ごせます
ウィレム・デフォー、ストリート・オブ・ファイヤーの時のカッコ良さはどこかへ行ったが、相変わらず良い味出してます
マッツ・ミケルセンも良い味出してます
「蜜蜂と遠雷」がそうであったように、表現者を知りたければ、作品を観たり聴いたりするのが手取り早い。ゴッホの何たるかを知りたければ、美術館へ行き、解説板で必要最低限の情報を仕込んで、作品と対峙するのが一番良い
作品と対面すると、その感性は言葉で語りかけてくるのではなく、光を通して私の感性を震わせ、私は感動する
人間は欲張りなもので、素晴らしい感性に触れた時、素直に感動してれば良いものを、お節介なことに、その感性がどこから来たのかと知りたくなる
だからこの映画では、映像とセリフで登場人物の行為を丁寧に再現して、表現者の内面に迫り、表現者の感性がどこから来たのか探ろうとする
しかし、死んでしまった表現者の日常や内面が理解できるとは限らない、いやいや、表現者自身が理解してなかった可能性も高い
こうなると困ったもので、玉ねぎの皮むきのように、話はどこにもたどり着かない
そこで、映画は、ゴッホの死の謎という別の謎へシフトしながら、当時のゴッホは理解されなかったんだけど、ゴッホの視線は未来の僕たちには評価されてているという美の永続性へ話題を向ける。チコちゃん風に言えば、「ゴッホの絵に感動するのは昔も今も光が変わらないから〜」なんてことか
いやいや、この映画をお勧めするか、美術館へ行った方が良いとアドバイスするか、悩まし〜
それでもゴッホがどこから来たのか知りたい人は、眠くなるのを覚悟して行ってください(笑
黄色と青色が美しくて、幸せな時間が過ごせます
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