8月4日の日記

2016年8月4日 日常
このひと月ぐらい茗荷の花芽が雨後のタケノコのように出ていたのに、今週からぱたりと止んだ
水切れの疑いもあるけど、水は適当にあげてたはず
茗荷って、晩春から秋までずっと出続けてた気がしたけど思い違いか?それとも茗荷の食べ過ぎ?
秋に再びブルーミングが来るのを待とう

烏の巣立ち

2016年8月1日 日常
職場の窓の外で、小ぶりなハシブトガラスがグェグェと騒がしい
口の中にまだ少し赤く、親に餌をもらっていたころの名残りがある
親はこの赤に刺激され、せっせと餌を運んでいたのだろうが、
今は、どこか遠くで見守っているらしく、姿は見えない
散々、グェグェと鳴き散らしたあと、子ガラスも諦めがついたのか、どこかへ飛んでいき、あとには蝉の鳴き声がひびく
こんなことが二週間ばかり続いている、カラスの巣立ちシーズンである

クロアゲハ

2016年7月29日 日常
今年の春に植えたばかりの金柑の芽を、クロアゲハの幼虫に食われてしまいショック
新芽の部分だけ見事につんつるてんに、あ〜、これで収穫は一年遅れるな
見回りをしてたつもりが、油断してた
幼虫君は3齢ぐらいか、食われてもおしくないミカンの木に移す
さなぎになっていた
メスの保証はないのだが、このさなぎが蝶になって、金柑に卵を産みにこないように、今度こそちゃんと見張らなくては
まあ、次から次へと病院にお世話になっている
今度はぎっくり腰
ちょうど一週間前の火曜の朝、通勤電車で座ろうとしたら、ぎっくり腰に
たしか、三十代でも体験しており、二十年振り?二回目
覚えてました、あの背中に電気がピキっと走る感覚
もうその後は動けない

そうなんだよね、駅まで急いで歩いてるとき、なんか違和感があったんだよね
あの違和感に気づいてい、慎重に行動してればと思うが、後悔先に立たず

降りる駅について、なんとか立ち上がって、ホームに降りるも、何も出来ず
折り返して、近所の接骨院へ、
翌日外せない会議があったので、なんとか動ける状態にしてもらう
水曜日、登山用のポールをついて出社して、会議にだけで出る

木曜になっても動けないので自宅でゴロゴロ
あまりにも暇なので、痛い腰をさすりながら車を運転して岩盤浴に
二時間我慢して寝てたら、あら不思議、痛みが取れてた
整骨院は卒院して、翌日も岩盤浴で一日のんびり

一週間経って、ほぼ回復しているが、排泄時に気張れないのが不自由って言えば不自由

怒れる父親

2016年7月11日 日常
家であまりにも腹が立つことがあり、日曜日の夜に怒りを爆発させてしまった
怒れる父親である
問題の根には夫婦間のほうれんそう不足があるのだが、共働きで忙しい我が家ではほうれんそうは疎かになりがち、ほうれんそう不足のすれ違いから問題が起きるとお互い感情的になり、それまでうまく行っていたことにまでうまくいかなくなる
悪循環の始まりである
怒ってしまったことを後悔し、うまくいかないことにほとほと疲れる

ひも靴

2016年6月23日 日常
ひも靴ではなくスリッポンタイプの靴を履くことが多い
ひも靴のデザインは好きなのだが、履くときのことを考えると億劫になる
職場ではサンダル履きになるため、靴を履くのは朝家をでるときと夕方会社をでるときのたかが2回だけなのに
その2回が億劫になる
さすがに雨の日は編み上げのレインブーツを履くが、これだってスリッポンタイプのブーツに履き替えようかと
ただ、スリッポンタイプのブーツは脱ぐときに苦労をするので悩ましい

そう言えば小さい頃、夏休みに母方の実家に帰省していたとき、祖父が出社するのを玄関で見送るのが朝の習慣だった。祖父が革靴の紐をほどかず、靴べらを使って器用に、かつ足をかなり強引に靴にねじ込もうとしているのを不思議に見ていた。今から思えば、戦争で膝を悪くした祖父は靴ひもを結ぶため屈むのが億劫だったのだろう

自分もそういう歳になったということだ、僕は戦争に行ってないけど

かりんとう

2016年5月10日 日常
小腹が空いたときのために、職場に自分用のお菓子を置いている
最近のお気に入りはかりんとうと歌舞伎揚げである。
30代の独身のころにも、かりんとうに凝って、朝ご飯代わりに毎日のように食べていた時期があった。今から思えば、なんて不健康な食生活をしてたんだろうと驚く
かりんとうと言えばやっぱり黒糖でしょ、あの真っ黒で、ごつくて、油がしみてる。どちらかと言えば固めのがいいか
もちろん、白かりんとうも悪くなく、細めで、上品にザラメ砂糖がまぶしていて、軽いやつ
周りの砂糖が口のなかで溶けて、油で揚げた小麦粉の香ばしさと一体になったときの幸せは筆舌に尽くし難い
その美味しさの割に評価が低いのはどうしてだろう
ちなみに、私のかりんとう好きは、小学生のころに、山本有三の「生きとし生けるもの」を読んでからである

季節の変わり目

2016年5月6日 日常
季節の変わり目、風邪をひいた。免疫力が落ちているせいか、体温の恒常性機能が劣化してるせいかよくわからないが、風邪をひいた。寒暖のあるこの季節、薄着をして家を出たのに思ったほど温かくならなかったり、温かいのに厚着をして汗をかいたりすると、まず悪寒が来る。数日なんとか持ちこたえるのだが、明け方寒い日が続いたりすると、風邪をひいてしまっている。まあ、花粉症が思い込みだったように、自覚症状なんて当てにならず、風邪をひき始めに悪寒を感じただけかもしれない。風邪をひいたひいてないの線引きがとても微妙で、たるい日が続く
しかし、季節の変わり目ごとに、毎年毎年、こうも風邪をひいて体調を崩していては困る
お腹の調子も悪い

恋人たち

2016年4月25日 日常
恋人たち
映画では、人間のすばらしさや強さ、逆に、人間の愚かさや弱さを表そうとすることがある
後者の映画では、観ている者に”いたたまれなさ”を強要するときがあり、観賞直後、実に後味の悪い気分にさせる
カンヌの常連、ミヒャエル・ハネケやダルデンヌ兄弟が得意とするジャンルだ
橋口亮輔監督の、救いようの無い弱者やマイノリティーたちの群像劇「恋人たち」でも、上映中なんど不快な思いをしたことか
救いのあるラストシーンが映されて、やっと気まずさから開放されるとわかり、正直ほっとした
彼らの痛みをわかるべきなのか、それとも同じ体験をしてない私たちはわかってる振りができるだけなのか
なんてことを考えてるうちに、人の素晴らしさと強さに、気持ちが転じてゆくのだ
説明的なセリフが多いところにイラっとするが、それもねらい!?いやこれはこの監督さんの個性だろう、センスがなくても個性は大切にしたほうが良い

流行のセーター

2016年4月22日 日常
zozotownで欲しいセーターを見つける、春秋に重宝しそうなシンプルな綿のセーターだ
10年近く前に購入した似たようなセーターがあるのだが、かなりくたびれかけてきており、そろそろ代替え時期かと。でも、10年も持ったと言うことは、綿のセーターはあまり使わないということか、薄手でもウールのセーターがいいのではと。確かに、一昨年の冷夏のときユニクロで買った薄手のカシミアのカーディガンは軽くて温かい。でも綿のセーターのごわごわしたざっくり感も好きだ。街で良く見かける
ということで購入し、さっそく着ている
袖は確かに短いけど、そのうち伸びてくるかなとも、なんたってコートの裾を折り曲げて、短くして着るのが流行る時代なのだから、そう言えばジャケットの袖を折って着てたな〜、シティーハンターの冴羽獠かよ
それにしても、ネットショッピングは楽だ、あのポチッと感がたまらない
あれ、自分、物欲無くなったんじゃなかったけ、春とともに元気を取り戻しつつあるのか、良いことだ

服の流行

2016年4月21日 日常
服の流行、ファッションとは不思議なものだ
ズボンの幅が細くなったり太くなったり、スカートの丈が長くなったり短くなったり
最近では、長袖の袖が短くなったりしている
長袖は親指の根元まであると美しいと、若い頃におしゃれの師匠から教わっていたので、七分袖が出たときでも驚いたのに、ネットで買ったセーターが少し短めの長袖、おそらく8.5分ほどの中途半端なのには、おいおいと思ってしまった。まあ、流行なのできっとすぐ慣れるんだろうけどね。
実際、若い頃、ニッカーボッカーズなんてダサいと信じてツータックのズボンを履いてた自分が、今ではテーパードという名のニッカーボッカーズ風のパンツを履いている
先日、大腸内視鏡を入れて取ってもらったポリープの結果が出た
内視鏡の画像を見ながら、こぶ取り老翁さんに出てくる鬼のように、手早くポリープを取って、「これはきっと良いやつですね、でも、一応調べておきましょう」と医者が軽く言ったポリープの結果だ。検査のときに取り損ねた診察の予約をとるときに、電話の向こうの医者に、問題がなかったら、この電話で結果を教えてもらってもと遠慮げに申し出ると、そういうわけにもいきませんと意味深なことを言う。何か問題があったのかと思いながら診察室の扉を開き、椅子に座ると、おもむろに、二つあったポリープのひとつが悪いやつだと言う。悪いやつかもしれないでもなく、どうも悪いやつと思われるでもなく、確実に悪いやつらしい。なるほど、意味深なわけだ
癌のステージを見極めるため、これからさらに詳しい検査をするらしい。ポリープの画像を見ながら初期ですかねと医者に聞いても、先日の軽い発言を後悔してるのか、それは見てみないとわかりませんと慎重に言葉を選ぶ。ステージ1で、これは春から縁起がいいやとなれば嬉しい

夏をゆく人々

2016年3月23日 日常
夏をゆく人々
若人の成長を題材とした映画での、監督と主人公の関係は、獅子は我が子を千尋の谷に落とすという言葉そのままである。主人公の成長を温かいまなざしで見守りながらも、ロクでもない大人たちに翻弄される状況下に放ち、蜜を取って巣箱へ戻ってくる立派な働き蜂になることを願う。できた監督さんであればあるほど主人公への放任ぶりが発揮され、この監督さんの放任ぶりにはヨーロッパの自由主義に耐えうる人格形成の厳しさがあり、その果てにある人間的温かさはアジア人の我々にとって眩しい。数日経てば、その眩しさが愛おしさに置き換わっていることに気づく
カンヌらしい作品

覚悟と不安

2016年3月16日 日常
栃木で河川が決壊し,多くの被害が出たのは去年の秋だ。あれから半年も経ってないのに、はるか昔のことのように思える
日が暮れてゆく濁流のなかで、自衛隊ヘリによる救出を待っている人々を生中継するというインパクトのある映像を見たにもかかわらず、もう忘れかけている
かつての関東平野の河川はすぐに氾濫し,いつ水害が来てもよいようにと,屋根裏に船を置いている地域も多かったと聞く。ダムができ堤防が補強されてからは、かつて氾濫原と呼ばれた地域にも水害はめったに来なくなり、家々の屋根裏から船は姿を消した。
自然災害はいつかはくるが、そうそうこない。ましてや数百から数千年に一度の大規模災害に自分が生きているうちに遭うなんて宝くじにあたるぐらい確率は低い。だから、大規模災害にあった人は口を揃えてこう出張する,今までこんなことは起きなかった、何かがおかしい、昔と違うと。災害は、地域の記憶から忘れ去られたころに、船が消えたころに、そっとやってくる
私に予知能力はないからいつとは断言できないが、地震は周期的にやってくるという記録を見せられると、必ずいつかは東京にも大地震がくるという覚悟はある。さらに言えば、テレビを通して他の地域の多くの自然災害を目にしており、それがいつ自分にきてもおかしくないという不安もある。
災害は突然明日来るのかもしれないし、覚悟と不安をわすれたころに、そっとやってくるのかもしれない。確率的には忘れたころにそっとやってくることのほうが圧倒的に多い。

そんなことを3.11に思う

花粉症

2016年3月8日 日常
今日は花粉が飛んでるとの噂だが、今のところ花粉症の症状はなし

来週、関西に出張がある
十年以上前の春、西日本へ出張したとき、電車を降りた途端、くしゃみが止まらなくなった。最初に疑ったのは松。血液検査で花粉はすべて陰性と出た身としては、あれはたんに電車から出て寒暖の差が刺激になっただけと思ってしまう
来週の出張が今から楽しみだ

思い込み

2016年3月7日 日常
思い込みの激しい性格ゆえ、いろいろと苦労することがあった
疑い深くなったり、自己主張が強かったり、自意識過剰になったり、周りとうまくやってけないことも多々あった
この歳になって、やっと、そのやっかいな性格とも折り合いがつけられるようになってきた
ちょっと遅いか

その気は小学三年生になる息子にもときどき見られ、親子なんだなと思う
息子には、認知は人間特有の素晴らしい能力であるが、人間の認知ほどあてにならないものもなく、というようなことを、子供にわかる言葉でくどくどと話している
ちょっと早いか
自分は花粉症だと信じてたのに、近所の耳鼻咽喉科で受けたアレルギー検査の結果、スギもヒノキも陰性。ホコリとダニだけが陽性に、それもわずか。医者は結果を見て、まあ、検査で出なくても花粉症の症状が出る人はいますからと。薬が合ってるなら出しますよと言われて、素直に4週間分出してもらう。あの鼻水とくしゃみは寒暖の差とホコリとダニが原因だったのか?花粉症だと思い込んでただけ?それとも治った?

試しに、花粉が飛びまくっているという噂の今日、薬も飲まず、眼鏡もかけずに、外を歩いても、自覚症状はほとんどない。でも、やっぱり少しダルいような
もう自分のことがよくわからなくなっている
今の車にあと3年は乗るつもりなのに、次の車を何にしようかと色々悩んでいる

ヨーロッパ車にするか日本車にするか、この選択枝は悩ましい
先端技術と細やかな配慮を得意とする日本車とデザインと機能を重視するヨーロッパ車
ルノー日産のようにヨーロッパのメーカーと日本のメーカーが手を取り合い始め、その違いはどんどん無くなってはきているが、値段を抑えた大衆車をつくろうとすると、どうしてもどこかを削らないといけなく、そのどこを削るか、言い換えればどこを残すかは、日本メーカーとヨーロッパメーカーでは大きく違う。それは顧客が大衆車に何を求めてるかが地域や文化によって違っているためなのか
もちろん、ベンツ、アウディ、レクサスのように、すべてを残した高い車を売っているメーカーもある

まあ、色々悩んでいるけど、お金をどれだけ出すかで選択枝はかなり絞れるということだ
また、その金を車にいくら使うかで悩ましい
さらに言えば、都市に住み、週末のたまにしか車を使わないので、レンタカーで十分なんだけどね

2月24日の日記

2016年2月24日 日常
公私共々、色々落ち込むことも多くて新年早々、通勤の足が重くなっていた、まあ帰宅の足も重いんだけどね
あ~、私は海に落ちたとしても、お魚さんたちの餌にもなれず、誰の役にも立てず、藻くずとしてふらふらと朽ちてゆくだけなのねと、へんなことを妄想したりと、マイナスオーラ出しまくりの毎日だった
ところが、2月の頭に駅伝で走ったころから調子がよろしく、理由が何だかよくわからないが些細なことで気分は変わるものだと
昨年から続いている苦手な人との仕事も、ついこの前までなら、エネルギーを使い尽くして、病んでいたのに、今はなるようにしかならないと思えるように

大腸内視鏡

2016年2月23日 日常
科学の進歩の恩恵にあずかれるのは嬉しい
健康診断で便潜血がひっかかり、大腸を内視鏡で診てもらうことに
数年前、胃の内視鏡は飲んでいるので、これで晴れて上下の内視鏡を体験することに
胃は四谷のおしゃれな健診専門のクリニックで診てもらい、とても意心地良かったので、今回もそちらにしようかと悩んだが、会社の産業医の5千円ほど安くなりますとの甘言に載せられ、薦められた総合病院に行くことに。う〜ん、全然雰囲気が違う、薦められた総合病院、リノリウムの床にスチール机とバイプ椅子が並んでいる殺風景な空間で2時間かけて2リットルの下剤を飲む、四谷のクリニックは絨毯敷にソファーが並べられたホテルの待合室のような空間で、5千円をけちるとこうなるのねと納得。
胃の内視鏡のときも驚いたが、お医者さんと一緒にリアルタイムの鮮明な画像を覗きながら検査は進む。突っ込まれたカメラは直腸をすんなり通過し、大腸の襞をかき分けながらずんずん進む。ときどき襞に囲まれどちらに進むべきか迷子になり、壁を押しながら穴の続きを捜すが、そのとき何とも言えない違和感をお腹の中で感じる。違和感を感じながら、まだかなと思っていると5分もしないうちに小腸の出口に到着、途中、赤い斑点があったり、小さなポリープがあったり、その都度医者の簡単な説明を受ける。画像の鮮明さにも驚いたがポリープさばきの見事さに科学の進歩を感じる。金属の輪っかで切って、傷口にお薬塗って、薬剤カプセル(?)付きのホッチキスで止めて、ポリープを吸水ポンプで回収してと、ものの1分も掛からない。
しかし、5千円安いとはいえ、保険を使って2万円ちょっと。科学の進歩は素晴らしいが、お金も掛かる。やはり健康が一番と思う。

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