火曜日の午前、お家でオンライン会議
ここ2ヶ月ほど抱えてた仕事の締めの会議で、無事に終了して、ほっと力が抜ける
部屋の窓から見事な秋晴れを見ながら、空いたお腹をどうしようかと
美藤さんに教えてもらった喜多見の蕎麦屋さんのことを思い出す、新蕎麦と牡蠣天の季節だ!

秋晴れのなか、自転車で坂を下って下って、頭のなかは新蕎麦と牡蠣天でいっぱい
人気店だけど、平日なので、待たずに入れる
先に入ってた隣のカップルの男性が牡蠣天食べながら、しきりに美味しい美味しいと相方にしゃべっていて、期待にワクワク
期待を裏切らない美味しさ、食べながら2年前に食べた時の感動も思い出して、これこれと満足する

いつまでも口のなかに牡蠣の甘さが残ってて、帰りの上り坂もニコニコ
美味しかったのは、一仕事終えた満足感もあるんだよね

2020年9月26日 日常
今年の夏山シーズン、2回しか山へ行けなかった
それも2000mちょっとの山への日帰り登山で、山小屋泊が必要な本格的な夏山登山はおあずけ
山小屋はコロナ対策で、密にならないように、ゴミは持ち帰るようにと色々工夫して営業してるみたいなので、行ってもいいかなとも思うけど…
悩んでいるうちに、夏山シーズンは終わり、山はすっかり秋に
秋は秋でいいんだよね
十月あたまに八ヶ岳か白根あたりに行ってみようかと

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェストを映画館で観る、二度目の観賞、もしかして三度目かも

名監督の作品には、ワンカットが長く、自然と映画全体も長くなるものがある
タルコフスキー、ルキノ・ヴィスコンティ、テオ・アンゲロプロス、フランシス・コッポラ、デヴィッド・リーンそして黒澤明、みんな長い映画を撮っている
それが名作だと知らずに見ていると、無性に眠くなる

でも、カットが長いのには理由がある
セリフで簡単に表すことのできないものがあるから
時代の雰囲気であったり、主人公のそこまでの長い道のりへの熱い思いだったり

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト、どっぷりと西部時代のアメリカにはまることができます、ハマってしまえば、三時間はあっという間
名作とは、ハマることの出来る映画だと納得

辞任

2020年8月28日 日常
あ〜、驚いた
さすがに、今日はコロナのニュースも飛んでいった

あ、水虫、完治しました
急な雨が来るかもしれないので、干してる布団を取り入れてから出かけないとと思っていたのに、午前の受付の終了時間が迫っていて、バタバタとして忘れてしまう
皮膚科の待合室で、スマホの雨雲接近情報を見ながら、ドキドキする
運よく、雨雲が掠めて行ってくれたお陰で、布団は濡れずに済む

お尻の調子も良く、中年のうちに治しておきたい病気で、あと残るは睡眠障害
ただ、水虫や痔と違って、担当医によると心の病はストレスがある限り、なかなか治らないらしい
お辞めになられた方のほにゃらら大腸炎と同じだね

夏休み

2020年8月11日 日常
5月末、コロナ感染症が落ち着いたかに見え、これからは日常がゆっくりと戻ってくると期待していた。例年と少しは違うかもしれないけど、今年もお盆の帰省はあるだろうと、淡く思っていた
しかし、淡い期待は裏切られ、社会はコロナに翻弄されたまま

僕の仕事も、そろそろと動き始め
当初の年間スケジュールは乱れ、お盆とは関係なく仕事がイレギュラーに舞い込んでくる
仕事がイレギュラーなため、まとまった夏休みはないが、そろそろと遊びも再開する。週に二日ほどある平日出勤の帰りに映画館に寄ったり、祝日の朝イチの美術館を訪れたり、この三連休は泊まりなしのピストンで夏山登山に行ってきたり。ジムもそっとヨガのクラスに参加したり。

コロナという社会のリスクが1つ増え、今までとは少うレギュレーションが違うだけなのにポストコロナと名付けられた別の時代が来たかのような錯覚を個人が覚える。これは行き過ぎた近現代の影がすっと上空をかすめただけで、いつの世も影はあるのだと、妙に醒め切った見方をしてしまう。


ご無沙汰

2020年8月7日 日常
日記からすっかりご無沙汰してしまった

7月はコロナで延期になっていた仕事に忙殺されて、さらに暑かったり涼しくなったりという季節の変わり目の気温変化にすっかりやられて、体調が散々な日々を過ごす
気も病んでいて、7月の記憶がほとんどない
8月に入り梅雨が明けると、最初の数日の暑さには参っていたが、暑さにも徐々に慣れてきて、少しは心穏やかな生活が戻ってきた

7月の記憶はほとんどないけど
コロナ下の新しい生活は始まっていて、通勤電車も、ジムも、美術館も、コンサートホールも、映画館も、そして職場も、人口密度の低い生活に慣れてきた
だから、吉祥寺の駅を降りて、駅ビルの雑踏を歩いていると、コロナ前の日常が懐かしく思い出される

明日から夏休み
少しのんびりできるかと思いきや、ちょうど夏休み明けが締め切りの難題の仕事が一件入っており憂鬱。この仕事、2月ぐらいから続いていて、今年前半の不調の種の一つ。7月にかなり苦労して頑張ったので、出口はだいぶ見えてきている。この出口が勘違いでないことを祈る。


梅雨の水虫

2020年6月23日 日常
治さなくても死なない病気、さらに大きな声で周りの人には言いにくい病気ってある
そのどちらにも当てはまるのが、痔と水虫
声を大にして言うことではないが、昭和生まれの私は、もちろん痔持ちであり水虫持ち
私の父も祖父もそうだった、自己申告しない母もそうらしい

痔は数年前、本気で治そうと思って、通勤途中の駅にある名医のところへ3ヶ月通って頑張りました。完治したと思い込んで、最後はなんとなく行かなくなっちゃったけど、ほぼ小康状態。大腸の内視鏡検査をしたときに、相変わらずこれ痔核ねって言われるので、痔はまだ残ってるらしいけど、運動する・きばらない・辛いものを控えると言う、痔の三戒を守っているせいか、調子は良い。ただ、治しきれなかった自分のだらしなさを悔やんでる。

もう一方の水虫も、毎年湿りがちな梅雨時に指の間の皮が少し剥ける程度で、夏に数回海に通えば知らぬうちに治ってる。他に何も自覚症状がないため、本当に水虫かどうかの確信もないまま30年近く放ってきた
ここ数年、靴を長時間履くと、靴擦れを起こしたところから皮がむけて、魚の目のような跡が残って、痛くなる。これは困ったと、近所のやはり名医と言われる皮膚科の医院へ。名医の「医院長先生はイボは見ません」の張り紙が入り口に貼ってあって、人当たりの良さそうな雇われ先生が見てくれることに。ちょっと見てみますねとピンセットで摘んだ足の裏の皮を載せたスライドグラスを持って、部屋を出てゆく。別室にある顕微鏡で見るのねと待っていると、すぐに帰ってきて、全部水虫ですねと、薬を出しておくので、2ヶ月頑張りましょうねと笑顔で励ましてくれる。
最近の病院の先生はみな優しく、些細な病気でも親身になってくれ、死なない病気でも治そうと本気で思わせてくれる。医は仁術なり
あと医学の進歩もすごいね、水虫の薬はよく効き、1週間でほぼきれいに。ただ大切なのはこのあとの2ヶ月らしく、今度こそ治しきるぞと、三日坊主になりがちな自分に言い聞かせる毎日。2ヶ月は長い

日常へ戻る

2020年6月20日 日常
コロナですっかり生活スタイル、特に時間の使い方が変わった
まだ週2か3の出勤で、他の日は自宅でテレワーク
テレワークの日は、7時から8時の間に起きて、軽めの朝ごはん
2杯目の紅茶を持って、DIYで作った机をおいて急遽兼仕事部屋に模様替えした寝室のある二階に上がる
まずは、仕事前に二階のベランダでストレッチをしながら庭を眺める、オリーブはもう少し切った方が良いなととか、ディルが全然大きくならないなとか、あんなところにもこぼれ種で大葉が生えてるとか、紫陽花は花が終わったら今年はどれぐらい切り詰めようか、そういえば玄関横のフサアカシアがやけに伸びてたけど大丈かなと南向きのベランダから乗り出して東向きの玄関を眺める。この時間が気持ち良い。まるで自分が作った地球を眺める神の気持ち
そのまま、お昼までは二階でお仕事
昼に台所のある一階に降りてきて、やはり軽めの昼を取って、庭に出て、朝二階から眺めて気になったところを一通りチェックして、手を入れることも
夕飯の買い物行って、晴れていれば、さらに庭仕事に1時間ほどかけることも、雨ならば、映画や音楽を聴きながらうとうとと。夕飯前に少し仕事の仕上げをして
作った夕飯を食べながらのんびり過ごす
夜にジムのヨガ教室が入ってたら、夕飯は軽めにするし、入ってなかったら、寝る前にYouTubeのヨガを楽しむ

革靴も、革の鞄も持たない、サンダルにエコバックの生活
一見健康的にも思えるが、仕事が詰まり始めると、机に向かう時間がふえ、私は夜型なので気がつけばあっという間に朝の3時。翌日はzoomの会議があるのに、眠くて使い物にならなくて、反省。次回はちゃんと早めから仕事に取り掛かるぞと励んでたら、乗ってしまって、庭仕事もヨガも忘れて土日も仕事してたりと、危険なワーカーホリックに

生活スタイル、時間の使い方は変わったかもしれないけど、極端な自分の性格は変わらないというオチの話

来週から、週4〜5日の通常運転、もともとフレックスで会社には3か4日しか行ってなかったので、ほぼ日常に戻った感じ
ポストコロナを感じるのは移動時のマスクぐらい
確実に日常は帰ってきてる

予想屋さん

2020年5月6日 日常
競馬、ボート、自転車と言ったギャンブルは色々な人が関わって成り立っている
主催者、選手、投票券を買うお客さん、果ては、敗れた投票券を掃除する人まで
そんな色んな人で溢れている場内、なけなしのうん万というお金が飛んでいくから、発走前は殺気だってるが、終わってしまうと、ゆるい空気がどよ〜んと漂っていて嫌いではない。国破れて山河あり

そんなギャンブルには、予想することを生業としている人たちがいる。予想屋さんと解説屋さん。場内の予想屋さんは個人商店的なもので木箱の上に立ってレースの展開予想を熱く語る、小銭をそっと差し出したら、予想を書いた紙切れをそっと渡してくれる。一方、解説屋さんは大小さまさまなメディアに属していて、場内にはいない。
予想屋さんはその名の通り、予想を有料で教えてくれる。もちろんその予想に根拠がなく、みんな悩んだ時のおみくじのような感覚で気軽に買う。もちろん、ほとんどの予想は外れるため、レース後に予想屋さんに嫌味を言う客はいるが、予想屋の言うことを信じて投票券を買うのはあくまでも自己責任である。
かたや、解説者、レースに関わるあらゆる情報を提供してくれ、レース展開の予想もやり、さらにはレース後の解説までしてくれる専門家なのだ。なんでも知っていて、その蘊蓄に富んだ話を読んだり、聞いているだけで面白い。解説者は予想を当てることを一義にしていないため、自分の予想が当たれば、その選手の強さに素直に感心し、予想が外れても、予想外の力を発揮した選手に驚き、そして、これからが楽しみですねと結ぶ

前置きが長くなったが、コロナの専門家たち、わからないものを予想することになかなか苦労している
多くの専門家たちは解説者に近く、なんでも良く知っているが、コロナについてはよくわかっていないことが多く、これと言った絶対的な対策はまだ定まっていないため、無難な対策を解説する人、極端な攻めの対策を主張する人、過剰な対策を諫める人、人それぞれだ。競馬の解説屋さんの言うことがバラバラなのを聞くのは楽しいが、今回は命にかかわることなので、心配になる
もちろん、モデルを専門にする予想屋さんもいるにはいるが、モデルでわかった理想の形に現実を近づけるのは甚だ難しく、無難な対策に終始すれば芳しい効果が見えないため、モデルの確かさを部分的に確認できるに過ぎない

同じ国破れて…でも、自己責任でない今の状況はとても心苦しい


オタフクソースのデーツ
ヨガと並んで,マイブームなのがデーツ
デーツが世界的に品薄で,ソースの材料に使っているオタフクソースが困っているというニュースを聞いたのは数年前,そのオタフクソースが販売しているデーツが高級で旨い,コクがあって,ねっとりしていて,まるで干し柿!
無類の干し柿好きの私がハマってしまったのにも納得
ちょっとお高いのが気になるが,他のメーカーのも色々試しているが,オタフクソースのデーツは今のところ敵なし
ちなみに100グラム600円を超すと,だいたい高級で旨い

おうちでヨガ

2020年3月29日 日常
ジムに行けなくなって1ヶ月,ジムは4月から再開すると言ってるけど,今の状況だと,ちょっと無理かなとも

そこで,昨年買い換えてようやくYou tubeが見られるようにテレビで,You tubeのヨガを始めた
You tube にはヨガだけでも数え切らないぐらいの映像が落ちている
7チェンネルだけの昭和のテレビで育った私にとって, You tube は夢のようなテレビなのだ

いやいや先生,柔らかいねと感心しながら,テレワークをしながらヨガ にはげむ

庭仕事

2020年3月18日 日常
去年の秋から通い始めたジムが楽しく,生活の華のひとつになりつつあった.さらに通い始めてから早寝早起きが苦痛でなくなり,これは素晴らしいとなっていたのに.
コロナのおかげで,ジムは3月いっぱいお休みらしい

ということで,今年の春は庭仕事に力を入れることに
今の家に引っ越して,早10年,庭の木たちは,自然が一番と放任し,伸び過ぎてからあわてて手をつけるも,結局は強剪定になってしまい樹形がいびつに.
グーグルストリートビューのタイムマシン機能で見ると,この10年で明るい庭が鬱蒼とした庭になった様がよくわかる
ということで,心機一転,大規模な植え替えを
おもなメンバーチェンジは葉が詰まり気味なモクセイ科から葉が大きく木漏れ日が明るいモクレン科へ
これからは季節ごとのマメな手入れを怠らず,適度に繁った庭を目指す

ジムで運動をしていたおかげか,大変な根抜きも適度な運動と思えたのが嬉しい

動体視力

2020年3月11日 日常
もともと運動神経には自信がなかったが
歳とともに衰えを感じることの1つに動体視力がある

スイカを自動改札にかざした時,表示される残高が読み取れない
おそらく動きながら,静止している画面を読み取るのが難しいのだと思う
映画のエンディング曲が気になり,エンディングロールで曲名を探すも,あれよあれよと思っている間がに画面が過ぎてしまい,あれれとなってしまう

若いころから苦手だったことは,老化のおかげでさらに苦手になる

あなたの名前を呼べたなら
未だに前近代的な旧き因習が残されているインドのムンバイを舞台とした恋愛映画
現代インド版ロミオとジュリエット
二人の間の障壁は,本家のシェークスピア版では名家の対立,この映画では身分の違い
途中,よくある社会の不条理に頭抱えちゃうんだけど,最後は希望があって,ホッとできる

ムンバイ映画なのに,踊りはなし,ポップなボリウッド音楽も一曲だけで,そこはちょっと物足りない
ということで吉祥寺でやってる「プレーム兄貴」を見に行くぜ!
こちらは完全マサラ映画で,ノンストップの音楽と踊りの満漢全席らしい
来週から夜の上映になるから,ちょうどいい
映画館が閉鎖されないことを願うぜ!
世の中,コロナのせいで,なかなか大変な状態になっている
うちも,中学生の息子と妻が,3月中旬まで,それぞれ学校と仕事が無くなり,毎日自宅で過ごすように
私の職場は年度替わりの時期でもあり,実務はほとんどなく,のほほんと来年度の準備に勤しむ.仕事はコンピューターがあればどこでもできるのだが,人口密度は自宅より職場の方が低いので,電車で1時間揺られて職場に出てきている

私の問題はコロナではなく,花粉症もどき
数年前,耳鼻科でアレルギー検査をしてもらい,ダストアレルギー以外はシロと出たけど
やはり毎年,この時期になるとタルくて,鼻詰まりが
検査項目になかったスギ・ヒノキ以外の花粉なのか,はたまた寒暖差アレルギーなのか,黄砂には少し早いので春一番で飛ばされた土埃なのかなど,疑いだしたらキリがないが,これぞという犯人は特定できてない
今年も先週あたりから怪しい


年度末の締め切り仕事に追われて,土日も関係なく,朝から晩までパソコンと睨めっこしていて,月日があっという間に過ぎた感じ
この3週間,仕事以外で何をしてたのかよく思い出せない.
まず,何を食べていたのかが思い出せない,3週間ほど前の週末にパエリャを久しぶりに作って,あまりにも久しぶりで,さらに頭が仕事のことでいっぱいなのもあって,簡単なミスをやらかし出来の悪いパエリャを食べる羽目に
それ以外,何を食べたか思い出せない

昨日の夜中に締め切り仕事をメールで送って,今日から通常営業ののんびりとした生活に戻っている
まずは,今週末はパエリャのリベンジだな

映画キャッツ

2020年2月13日 日常
映画キャッツ
リチャード・パワーズの悩ましき世界を読んだあと
何も考えなくて良い、シンプルなエンターテイメントの世界を楽しみたく
映画のキャッツを見に行った

巷の評判は芳しくなく、猫人間か人間猫かわからないコスチュームデザインが許せないとか、気持ち悪いとか 非難轟々らしい
これは猫なのか人間なのかと考え始めるとややこしので、猫でもあり人間でもあるという量子力学で知られている非決定論的状況を素直に受け入れて楽しむ

多くのハリウッド映画にある音楽に合わせて話がリズミカルに進むミュージカルとは一線を画し、猫か人間よくかわからないシュールな生き物たちが語りながら、時に歌いながら、時に踊りながら、とつとつと話は進む
この感じ、オペラだよ、話は陳腐なんだけど、歌と踊りは最高レベルで、登場人物は神か人間か妖精かよくわからん
ということでMETライブビューイングで4時間越えのオペラを映画館で観ること慣れている私にとって、あっという間の2時間弱
スパイス効きまくりで、素直に楽しかった
シュールな雰囲気は、ティム・バートンのチョコレート工場に似てるかな

ちなみに、映画キャッツの不自然さが非難されるなら、リチャード・パワーズの小説なんて打首獄門だよ
だってラリったお姉ちゃんがシャワー上がりの濡れた手で電球触ったら感電死して、すぐに生き返ったと思ったら、森の精霊の声がどこからともなく聞こえて、自然保護活動にのめり込んじゃう、なんて言うトンデモ話なんだから
芸術が日常である必要はない

劇団四季のキャッツにもチャレンジしてみようかなとも

つつんで、ひらいて@アップリンク吉祥寺
著名な装幀家のドキュメンタリーを初日に観る
河出文庫の斜め表題の装幀

どちらかと言えば、表紙をとったハードカバー状態の本に愛着を感じ、ハードカバーのデザインが気に入った本は表紙をはずして、裸の状態で本棚に並べている
本を読む時は、表紙が邪魔なので、だいたい帯も表紙も外してしまう
そして、持ち歩く時は皮製のブックカバーをつけている
帯に至っては単なる宣伝と思っていて、書店のビニール袋に入っている語学教材のチラシと一緒に捨ててしまう
そんな装幀家泣かせの私だけど、こだわりの装幀は嫌いではない
箱なんかに入ってたこだわりの装幀の本を本屋さんで見つけたりすると、思わず、ジャケ買いならぬ、装幀買いをしちゃいそうになる
でも、読む時はやっぱり表紙は外すんだけどね

そんな表紙は要らないけど、装幀は気になる私が、装幀家のおじさんのドキュメンタリー映画を観る
おじさんはコーヒーと蓄音器を愛する昭和のオタクです
おじさんは見えないところまでこだわる職人魂、それに付き合う周りは結構大変です
あくまでアナログなのはデジタル機器は使いこないから?
斬新な自分のデザインには目を細めるけど、弟子の気をてらったデザインには遠慮なく突っ込む
なんて、ツッコミどころ満載なんだけど、志賀直哉の「清兵衛と瓢箪」の主人公がそのまま大人になったような一途さを感じて憎めない

写真のクリアファイルがもらえます、ちょっと嬉しい

オーバーストーリー
リチャード・パワー、渾身の一冊。ピュッリッツァー賞受賞、評判は良い
訳者あとがきによれば、原題のオーバーストーリーは超小説という意味ではなく、林冠層という意味らしい

前作の「エコー・メーカー」が神経のお話で、今回は森
神経と森って似てる〜、神経も森もたくさんの部品が階層的に絡まってできている複雑系、レジリエンスが高くて系自身は安定なんだけど、外的ストレスがじわじわと加え続けられると、ある日突然ポキッと折れてしまう。そして一度壊れてしまうと、元に戻るのは難しい。だから壊れてしまう前に、僕たちはもっと永いスパーンで思考するようにし、太古から存在し続けてきた系の声なき声に耳をすまそうという話

あまりにも大き過ぎ、直接見ることができない複雑進化系を対象にしているため、複雑進化系そのものの記述より、その系に様々な形で関わっている人たちの群像劇になっており、直接見ることができないものがなんとなく見えてくる

こうやって書くと説明的で、説教臭い話なのかと思っちゃうけど、そうならないのが、リチャード・パワーのすごいところ。ただ、押し付けがましくないだけに、話の核は見えにくく、読む側もそれなりのものを得るためにはそれなりに苦労する
あ〜、疲れた〜

ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス
観てきました「ニューヨーク公共図書館」
公共図書館の意義を熱く3時間半にわたって語ってくれます

図書館の様々な裏側を見せてくれながらも、
共和的社会において、その構成員である市民は自分たちに主権があることを主張する権利があるとともに、みんなの主権を守る義務があるという、マジメなお話

映画の中では、自分たちの社会をより良くしよう、特に公平とは何かに関する議論が何度も何度も繰り返し出てくる
現場の様々なケースで、様々な視点から、徹底的に議論がなされる
そして社会の啓蒙の場として、市民が集まる場として、公共図書館は機能すべきと
そしてそして、公共図書館を持続させるためにはお金が必要で、公的予算をどのように確保し、並行して個人献金をいかにして集めるかを、理事の面々がまたまた延々と議論する

その姿勢は、現場の司書も管理職の理事も、絶えず前向き
似たような公的施設の運営を扱ったドキュメンタリー映画「みんなのアムステルダム国立美術館へ」でオランダ人が後ろ向きだったのと大違い
これは、能天気なアメリカと鬱屈としたヨーロッパの違い!?

もちろん、アメリカでも、社会と平等についてこんなに前向きに熱く思っている人たちは、下手すると麻薬に蝕まれたジャンキーたちよりマイナーで
さらに、前向きでもジャンキーでもない、その他多くのメジャーなアメリカ市民たちは、行き過ぎた資本主義にただただ流されて、またトランプに投票しちゃうのかな?
なんてことをエンディングのゴールドベルグ変奏曲を聴きながら考える

祝日の吉祥寺の映画館、朝9時半からの上映にかかわらずほぼ満員、まだまだ日本も捨てたもんじゃない!
そこが一番嬉しかった

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