観たあとも、自分の中でモヤモヤしたままで、日記に書きそびれていた
イスラム主義国家を選択したイランという国の映画でありながら、イスラム圏とは関係なく相変わらず世界に満ち溢れている男性の暴力をテーマにしている。さらに戦後アメリカの行き過ぎた経済発展による社会疲弊がテーマの「セールスマンの死」も劇中劇として上演されていて、とても複雑で、観る側は多角な視線と柔軟なセンスが求められる
映画は、どうみても八方塞がりで、諸般の事情の絡んだ問題を鑑賞者に突きつけたまま、唐突に終わり、私はどう受け止めて良いのかわからなくなっていた。
そして映画を観てから1ヶ月経ち、モヤモヤの原因が自分に柔軟な感性がないためだと気づく。そう、映画に登場する男性たちのように、柔軟さが足りないのだ。
ということで、柔軟さの足りない男性たちを描いた映画です
イスラム主義国家を選択したイランという国の映画でありながら、イスラム圏とは関係なく相変わらず世界に満ち溢れている男性の暴力をテーマにしている。さらに戦後アメリカの行き過ぎた経済発展による社会疲弊がテーマの「セールスマンの死」も劇中劇として上演されていて、とても複雑で、観る側は多角な視線と柔軟なセンスが求められる
映画は、どうみても八方塞がりで、諸般の事情の絡んだ問題を鑑賞者に突きつけたまま、唐突に終わり、私はどう受け止めて良いのかわからなくなっていた。
そして映画を観てから1ヶ月経ち、モヤモヤの原因が自分に柔軟な感性がないためだと気づく。そう、映画に登場する男性たちのように、柔軟さが足りないのだ。
ということで、柔軟さの足りない男性たちを描いた映画です
やっと見てきましたジムジャー・ムッシュのパターソン
人は昔から変わらぬものを求めてきた、その平穏さが描かれている。何も起きない、何も変わらない束の間の日々、言葉では「しあわせ」とも言う
束の間の平穏さが崩れ去ってしまうのではないかと、映画を観ながら絶えずドキドキしていたが、何も起きずに映画はそのまま終わるところが、実にジムジャー・ムッシュらしい
我々の変わらぬ日々を言葉を使って記録する素晴らしい術として詩が出てくる
そして映画の終盤あたりで、「詩を翻訳するのはレインコートを着てシャワーを浴びるようなもの」と永瀬正敏が言う
言葉の素晴らしさと不自由さの両面性を表しており、どきりとする
でも、何も起きずに束の間の平穏は無事エンドロールに向かう
何も起きないので、油断してると寝てしまいますが、いい映画です
ホドロフスキーの新作も見ないとね、題名の通りこちらも詩的なんですね!
人は昔から変わらぬものを求めてきた、その平穏さが描かれている。何も起きない、何も変わらない束の間の日々、言葉では「しあわせ」とも言う
束の間の平穏さが崩れ去ってしまうのではないかと、映画を観ながら絶えずドキドキしていたが、何も起きずに映画はそのまま終わるところが、実にジムジャー・ムッシュらしい
我々の変わらぬ日々を言葉を使って記録する素晴らしい術として詩が出てくる
そして映画の終盤あたりで、「詩を翻訳するのはレインコートを着てシャワーを浴びるようなもの」と永瀬正敏が言う
言葉の素晴らしさと不自由さの両面性を表しており、どきりとする
でも、何も起きずに束の間の平穏は無事エンドロールに向かう
何も起きないので、油断してると寝てしまいますが、いい映画です
ホドロフスキーの新作も見ないとね、題名の通りこちらも詩的なんですね!
アウトレイジ 最終章 [Blu-ray]
2018年2月2日 映画
デニス・レヘインの切れる世界に食傷気味だったはずなのに、アウトレージ最終章を見る。渇いてます、ポカリスエットのコマーシャルのビートたけしが出てます、あれって北野武だっけ?
映画全体の質感は、クローネンバーグの変態チックな金属的冷たさと蛇の鱗のさらりとした冷たさに満ち満ちており、その中で大森南朋の太刀魚のキムチ鍋の話が効いている。本物の新鮮な太刀魚のキムチ鍋
前2作で死んでしまって出られない俳優が多いなか、残された老優、怪優、バイプレーヤーズたちが総出で北野武の映画を盛り上げている。
映画全体の質感は、クローネンバーグの変態チックな金属的冷たさと蛇の鱗のさらりとした冷たさに満ち満ちており、その中で大森南朋の太刀魚のキムチ鍋の話が効いている。本物の新鮮な太刀魚のキムチ鍋
前2作で死んでしまって出られない俳優が多いなか、残された老優、怪優、バイプレーヤーズたちが総出で北野武の映画を盛り上げている。
遅ればせながら、ラ・ラ・ランドを観る
ラをいくつつけたらいいのか迷うが三つだね、口に出して言ったら四つの方がなんかしっくりくる
もっとミュージカル、ミュージカルしているのかと思いきや、そうでもなく。そんなミュージカル好きではない私にはちょうど良い加減。ミュージカルファンでもないので、過去のミュージカル映画へのオマージュは気にならない。でも、すっかりその世界に魅了され、夢を見せてくれるミュージカルっていいなって思わず楽しくなっちゃう
昔風のカラー処理のせいか、それともデザインでわざとそうなっているのか、原色が映える。夕日もゴッホのような原色、モネの微妙な色合いの夕日じゃない
最後のシーンで巻き戻された時間にドキドキしながら、でも、人生は後悔無しの一度きりというメッセージにジーンと来てしまう。
五十にして天命を知るじゃないけど、天井が見えてきた自分の人生を受け入れないといけない年頃に自分がそろそろ近づき、いつまでも色々な夢ばかり見ていてもしょうがないことには気づいていた。確率的決定論者なので、なるべく過去を振り返らないようにしていたけど、選択した自分を肯定することの大切さを教えてもらい、泣いてしまう。
関係ないけど、主人公のライアン・ゴスリングを見ながら、ずっと新しいブレードランナーはどんなんだろうと妄想して、こちらも楽しみ、未来でもスーツ着ているかな?
補足として、
ケニー・Gは私もバカにしているが、あれはあれで選択された人生なので、誰も否定することはできない。オルタナティブもイミテーションも悪い面が取り沙汰されることが多いが、それらを否定しない寛容さは必要なのか悩ましい。
ラをいくつつけたらいいのか迷うが三つだね、口に出して言ったら四つの方がなんかしっくりくる
もっとミュージカル、ミュージカルしているのかと思いきや、そうでもなく。そんなミュージカル好きではない私にはちょうど良い加減。ミュージカルファンでもないので、過去のミュージカル映画へのオマージュは気にならない。でも、すっかりその世界に魅了され、夢を見せてくれるミュージカルっていいなって思わず楽しくなっちゃう
昔風のカラー処理のせいか、それともデザインでわざとそうなっているのか、原色が映える。夕日もゴッホのような原色、モネの微妙な色合いの夕日じゃない
最後のシーンで巻き戻された時間にドキドキしながら、でも、人生は後悔無しの一度きりというメッセージにジーンと来てしまう。
五十にして天命を知るじゃないけど、天井が見えてきた自分の人生を受け入れないといけない年頃に自分がそろそろ近づき、いつまでも色々な夢ばかり見ていてもしょうがないことには気づいていた。確率的決定論者なので、なるべく過去を振り返らないようにしていたけど、選択した自分を肯定することの大切さを教えてもらい、泣いてしまう。
関係ないけど、主人公のライアン・ゴスリングを見ながら、ずっと新しいブレードランナーはどんなんだろうと妄想して、こちらも楽しみ、未来でもスーツ着ているかな?
補足として、
ケニー・Gは私もバカにしているが、あれはあれで選択された人生なので、誰も否定することはできない。オルタナティブもイミテーションも悪い面が取り沙汰されることが多いが、それらを否定しない寛容さは必要なのか悩ましい。
午後8時の訪問者 [DVD]
2017年10月27日 映画
ダルデンヌ兄弟の新作
相変わらず作品への姿勢はブレない。
経済が流動化し良くなった面も多々あるが、反面、移民・格差・失業など厳しい現実にさらされるようになったヨーロッパのベルギーが舞台。立場・身分・貧富によって異なる多様な眼差しと、一人一人が個人として葛藤する様が静かに描かれている。最終的には人間に生まれて来るのも悪くないと思わせるところがすごい。
それにしても、相変わらずロクデモナイ成人男子のオンパレードだが、現実がそうなのだからしょうがない
次回作は流動化の行き詰まりの最果てにある国際テロがテーマらしい
またロクでもない成人男子がたくさん出てくること間違いなし
相変わらず作品への姿勢はブレない。
経済が流動化し良くなった面も多々あるが、反面、移民・格差・失業など厳しい現実にさらされるようになったヨーロッパのベルギーが舞台。立場・身分・貧富によって異なる多様な眼差しと、一人一人が個人として葛藤する様が静かに描かれている。最終的には人間に生まれて来るのも悪くないと思わせるところがすごい。
それにしても、相変わらずロクデモナイ成人男子のオンパレードだが、現実がそうなのだからしょうがない
次回作は流動化の行き詰まりの最果てにある国際テロがテーマらしい
またロクでもない成人男子がたくさん出てくること間違いなし
T2 トレインスポッティング
2017年8月1日 映画
馬場の名画座で、トレインスポッティングと、その20年後を描いた続編T2を二本立てで見る。
トレインスポッティングはスコットランドの閉塞感とそれを打ち破ろうとするカウンターカルチャーがスピーディーに描かれており、今見てもワクワクする。そういえば、このスピード感は同じ監督さんのスラムドック&ミリオネアでも気持ちよかったなと。
カウンターカルチャーはカッコよかったけど、体制の爛熟期に出現する、あくまでも一時的なものであり、文化として成熟するものでないことがわかった今、彼らはどうしているだろう、彼らの未来はどこへ行くのかと、ワクワクしながらT2を観る。
映画のスピード感はそのままだけど、変わらなくていいじゃないかと、みんなには変わらない家族がいるじゃないかと、松竹的予定調和でめでたしめでたしとなり、少し肩透かしを喰らう。でも、混沌とした時代には、予定調和はカウンターカルチャーに代わる世界共通のツールなのだと納得。
トレインスポッティングはスコットランドの閉塞感とそれを打ち破ろうとするカウンターカルチャーがスピーディーに描かれており、今見てもワクワクする。そういえば、このスピード感は同じ監督さんのスラムドック&ミリオネアでも気持ちよかったなと。
カウンターカルチャーはカッコよかったけど、体制の爛熟期に出現する、あくまでも一時的なものであり、文化として成熟するものでないことがわかった今、彼らはどうしているだろう、彼らの未来はどこへ行くのかと、ワクワクしながらT2を観る。
映画のスピード感はそのままだけど、変わらなくていいじゃないかと、みんなには変わらない家族がいるじゃないかと、松竹的予定調和でめでたしめでたしとなり、少し肩透かしを喰らう。でも、混沌とした時代には、予定調和はカウンターカルチャーに代わる世界共通のツールなのだと納得。
アメリカのカウンターカルチャーを象徴する映画
民主主義の誕生以降、右へ左へと揺れながら、3周目あたりを回っている我々にとって、もはやカウンターカルチャーの新鮮さは見当たらず、今さらロハスなどと言っても眉唾物でしか見られない。でも、寛容な理想主義であるカウンターカルチャーはいつの時代でも我々の夢の部分を背負っており、ウンウンと共感出来る部分も多い。しかし、この映画の自由の象徴であるドラッグ、バイク、酒、娼婦などが、現代の日本ではそぐわなくなっており、若者はこの映画を見て自由のありがたさを勘違いしてしまうのではとも心配する
民主主義の誕生以降、右へ左へと揺れながら、3周目あたりを回っている我々にとって、もはやカウンターカルチャーの新鮮さは見当たらず、今さらロハスなどと言っても眉唾物でしか見られない。でも、寛容な理想主義であるカウンターカルチャーはいつの時代でも我々の夢の部分を背負っており、ウンウンと共感出来る部分も多い。しかし、この映画の自由の象徴であるドラッグ、バイク、酒、娼婦などが、現代の日本ではそぐわなくなっており、若者はこの映画を見て自由のありがたさを勘違いしてしまうのではとも心配する
ルキーノ・ヴィスコンティ
2017年4月14日 映画
ルキーノ・ヴィスコンティの処女作「郵便配達は二度ベルを鳴らす」のデジタルリマスター版を映画館で観る。古いフィルムの上映であった画面の白抜けや揺れ、飛びなどが修正されており、落ち着いて作品に集中できる。
戦前の作品なので、脚本も演出も挿入音楽も古めかしく、時代に思いを馳せながら、近代に萌芽した自然主義を感じる。昔と言っても高々70年前の話、男女の情熱は基本的に変わっていなく、娯楽作品としても楽しめないことはないが、やはり古典だ。
ちなみに併映だった、「揺れる大地」はイタリア版蟹工船で、こちらも戦後の共産党が世界の国々で元気だった時代を懐かしく思い出させてくれる。こちらも古典だね。
ちなみに私が古典の良さに気づいたのは、自分が古臭い人間になってからで、皮肉なものだ。
戦前の作品なので、脚本も演出も挿入音楽も古めかしく、時代に思いを馳せながら、近代に萌芽した自然主義を感じる。昔と言っても高々70年前の話、男女の情熱は基本的に変わっていなく、娯楽作品としても楽しめないことはないが、やはり古典だ。
ちなみに併映だった、「揺れる大地」はイタリア版蟹工船で、こちらも戦後の共産党が世界の国々で元気だった時代を懐かしく思い出させてくれる。こちらも古典だね。
ちなみに私が古典の良さに気づいたのは、自分が古臭い人間になってからで、皮肉なものだ。
西川美和監督の「永い言い訳」を観る
「ゆれる」の兄弟のような、性格が対照的な二人が交わることで、化学反応がおき、二人は変わってゆく。
永い言い訳という題名は妙意で、人はそう簡単に変われない、ずっと言い訳しているうちにいつか変われるかもしれないけど、その時はもう遅いんだよ、という寓意。
そして、この監督さんは人の心を撮るのが実にうまい。ちょっとくさいけど、「人生は他者だ」がすごく決まってて、ウンウンと納得
「ゆれる」の兄弟のような、性格が対照的な二人が交わることで、化学反応がおき、二人は変わってゆく。
永い言い訳という題名は妙意で、人はそう簡単に変われない、ずっと言い訳しているうちにいつか変われるかもしれないけど、その時はもう遅いんだよ、という寓意。
そして、この監督さんは人の心を撮るのが実にうまい。ちょっとくさいけど、「人生は他者だ」がすごく決まってて、ウンウンと納得
「殿、利息でござる!」という松竹映画を見て、なんとも言えない懐かしさを感じる。寅さんでお馴染みの松竹作品はどれも同じ匂いがするので、その匂いに懐かしさを感じたのだろう
物語はいたって簡単。江戸時代、東北のある村で金欠の問題が起きる。色々と策に走るも、解決する道はすべて閉ざされ、万策尽きたかに見え困り果てる。この色々な策に走るところの長いこと長いこと、あれもしよう、これもしようと、かなり引っ張ります。終盤に差し掛かると、「実は…」という突然出てくる人情のおかげで、ストリーが急展開し、あれよあれよと言う間に問題は解決し、映画は良かった良かったで終わる。日本昔ばなしのような、パターン化されたお話だから懐かしい匂いがして、安心して見られる。
人情ものは、浄瑠璃、歌舞伎と受け継がれている日本の伝統であり、形式美であり、王道なのだ
見ている間、竹内結子をずっと松たか子だと思い込んでいた、ボケだね
物語はいたって簡単。江戸時代、東北のある村で金欠の問題が起きる。色々と策に走るも、解決する道はすべて閉ざされ、万策尽きたかに見え困り果てる。この色々な策に走るところの長いこと長いこと、あれもしよう、これもしようと、かなり引っ張ります。終盤に差し掛かると、「実は…」という突然出てくる人情のおかげで、ストリーが急展開し、あれよあれよと言う間に問題は解決し、映画は良かった良かったで終わる。日本昔ばなしのような、パターン化されたお話だから懐かしい匂いがして、安心して見られる。
人情ものは、浄瑠璃、歌舞伎と受け継がれている日本の伝統であり、形式美であり、王道なのだ
見ている間、竹内結子をずっと松たか子だと思い込んでいた、ボケだね
アルモドバルの「トーク・トュ・ハー」を久しぶりに観る
やっぱり好きだわ、ストーカーという反モラル的な内容を含んでいるため、多くの人には受け入れられないかもしれないが、信仰にも近い、強く人を思うという行為を扱っている点で面白い。ガーンと来ます。
失うというシーンが多く出てくるが、ハードボイルドにならず、ウェット一辺倒で、アジア人として親しみを感じる
ピナ・バウシュの踊りで始まって、終わるところなんてディーバっぽくて、にんまり
ヴィンセント・アミーゴのギターは相変わらずかっこいい
パッケージの右、女闘牛士リディア演じるRosarioも歌ってるのかな、情報探したけど不明
やっぱり好きだわ、ストーカーという反モラル的な内容を含んでいるため、多くの人には受け入れられないかもしれないが、信仰にも近い、強く人を思うという行為を扱っている点で面白い。ガーンと来ます。
失うというシーンが多く出てくるが、ハードボイルドにならず、ウェット一辺倒で、アジア人として親しみを感じる
ピナ・バウシュの踊りで始まって、終わるところなんてディーバっぽくて、にんまり
ヴィンセント・アミーゴのギターは相変わらずかっこいい
パッケージの右、女闘牛士リディア演じるRosarioも歌ってるのかな、情報探したけど不明
奇を衒い過ぎてる感は否めないが、それによって言いたいことが表現されてるならいいと思うし、伝わるならいいかと、さらに言えば楽しめるならいいかと
ただ、私、松尾スズキや三木聡の作品で、不思議ワールドへの免疫ができており、そうそうなことでは驚かない
ということで、今回も超現実の前田ワールドを楽しんできた
日常って何?普通って何?家族って何?なんていう「人生のようなもの」のごった煮状態で、大人になりたくない高校生女子の成長が描かれる
なんせテンポが遅く、前半で眠気に襲われること必至
その割に、後半は駆け足になり、話を飲み込むのに精一杯で、監督の世界観に強引に引きずり込まれる
比較をしてはいけないのかもしれないが、同じ子供の成長を描いているベルギーのダルデンヌ兄弟の作品は残酷ながらもヒュマニティーにあふれていることを思い出しながら、日本はなんて平和で緩いんだろうと。きっとベルギーにも緩い映画はあるだろうし、日本にもシビアな映画はあるんだろうけど
この手の脱力系ムービーは癖になり、そのパロディに慣れてしまえば、それなりに楽しめるところが良い。関西人が吉本新喜劇を楽しんでいたように
ただ、私、松尾スズキや三木聡の作品で、不思議ワールドへの免疫ができており、そうそうなことでは驚かない
ということで、今回も超現実の前田ワールドを楽しんできた
日常って何?普通って何?家族って何?なんていう「人生のようなもの」のごった煮状態で、大人になりたくない高校生女子の成長が描かれる
なんせテンポが遅く、前半で眠気に襲われること必至
その割に、後半は駆け足になり、話を飲み込むのに精一杯で、監督の世界観に強引に引きずり込まれる
比較をしてはいけないのかもしれないが、同じ子供の成長を描いているベルギーのダルデンヌ兄弟の作品は残酷ながらもヒュマニティーにあふれていることを思い出しながら、日本はなんて平和で緩いんだろうと。きっとベルギーにも緩い映画はあるだろうし、日本にもシビアな映画はあるんだろうけど
この手の脱力系ムービーは癖になり、そのパロディに慣れてしまえば、それなりに楽しめるところが良い。関西人が吉本新喜劇を楽しんでいたように
リップヴァンウィンクルの花嫁
2016年11月11日 映画 コメント (1)
岩井俊二、久々の実写映画、相変わらず、この監督さんは残酷なおとぎ話を作らせるとうまい。
残酷なのだが、おとぎ話なので、見ている側は受けとめられる
ただ、これを実際の話だと見てしまうと、無理やりの設定や矛盾が気になって、おとぎ話には入り込めない。見る前に、おとぎ話だからねと三度唱えて、心の準備をする必要がある
正直者だが不器用な主人公が、結婚をきっかけに、坂をコロコロと落ち、さらに様々なものを失う。人は、どん底を経験し、色々なものを失って、強くなってゆく。
もう、そのコロコロと落ちてゆく様が絵に書いたようにわかりやすい
悪魔と天使をミックスしたような綾野剛といい、意地悪な姑役の原日出子といい、いかにもおとぎ話に出てきそうな役柄がわかりやすくていい
映画終了間際、老いた母親が、AV女優だった娘の遺骨を置いた仏壇の前でおもむろに服を脱ぎ、ずっと疎遠になっていた娘の気持ちをわかろうともがくシーンは強烈で、思わず感情移入しておとぎ話であることを忘れてしまいそうになるが、
長い長い映画も、生まれ変わった主人公のシーンで突然終わり、浦島太郎のようなおとぎ話であることを思い出す
残酷なのだが、おとぎ話なので、見ている側は受けとめられる
ただ、これを実際の話だと見てしまうと、無理やりの設定や矛盾が気になって、おとぎ話には入り込めない。見る前に、おとぎ話だからねと三度唱えて、心の準備をする必要がある
正直者だが不器用な主人公が、結婚をきっかけに、坂をコロコロと落ち、さらに様々なものを失う。人は、どん底を経験し、色々なものを失って、強くなってゆく。
もう、そのコロコロと落ちてゆく様が絵に書いたようにわかりやすい
悪魔と天使をミックスしたような綾野剛といい、意地悪な姑役の原日出子といい、いかにもおとぎ話に出てきそうな役柄がわかりやすくていい
映画終了間際、老いた母親が、AV女優だった娘の遺骨を置いた仏壇の前でおもむろに服を脱ぎ、ずっと疎遠になっていた娘の気持ちをわかろうともがくシーンは強烈で、思わず感情移入しておとぎ話であることを忘れてしまいそうになるが、
長い長い映画も、生まれ変わった主人公のシーンで突然終わり、浦島太郎のようなおとぎ話であることを思い出す
夏頃に買っていたディーバのDVD、なかなか観る機会がなく、積読ならぬ積観になっていたのを、やっと観る。
33年前、梅田のABCホールで観て以来、好きな映画マイベストテンから外れることはなく、レンタル屋さんで借りたVHSをコピーして、何度も観ていたが、そのVHSもどこかへいってしまい、お久しぶりの鑑賞。
でも、何度も見ただけあって、演出も背景もセリフも小道具もかなり覚えていた。お〜、ラストのセリフってこれね!ここだけはなぜかシーンも含めてあまり覚えてなく、新鮮に観る。色んなところを散々歩き回ったけど、出発点に戻って来たような余韻で、幕切られている。時間が止まって空間のみがある禅の心地か!?
ゴロディッシュのシトロエンに対して、警察はルノーとアメ車(フォード?)だったんだ
33年前、梅田のABCホールで観て以来、好きな映画マイベストテンから外れることはなく、レンタル屋さんで借りたVHSをコピーして、何度も観ていたが、そのVHSもどこかへいってしまい、お久しぶりの鑑賞。
でも、何度も見ただけあって、演出も背景もセリフも小道具もかなり覚えていた。お〜、ラストのセリフってこれね!ここだけはなぜかシーンも含めてあまり覚えてなく、新鮮に観る。色んなところを散々歩き回ったけど、出発点に戻って来たような余韻で、幕切られている。時間が止まって空間のみがある禅の心地か!?
ゴロディッシュのシトロエンに対して、警察はルノーとアメ車(フォード?)だったんだ
ヴィヴィアン・マイヤーを探して
2016年8月31日 映画
写真はリアルでありながらフェイクであるというという矛盾をはらんだ表現手段であり、現代では、その特性を使ったプロの芸術家による作品が次々と発表され、建築とともに絵画や彫刻といった正統派の美術の仲間に入れてもらえるようになった
写真が美術の仲間に入れてもらえるようになった歴史は苦難に満ちており、誰が撮っても同じではと非難され、何枚でも刷れる写真にオリジナリティーはあるのかと中傷されてきた。これら絵画のやっかみを乗り越えて、写真は単なる記録ではないと認められようになった
それはスティーグリッツが伴侶であるオキーフを撮り、マン・レイが前衛作品を撮り、ウォーカー・エヴァンスが市井の人を撮り続けたからだろう
そんな写真黎明期の無名の女性写真家のドキュメントを見る
ドキュメントでありながら、謎が多く、監督独自の解釈が入り、フィクション仕立てに
彼女の作品が美術なのか記録なのか微妙なところで、さらに、全部が監督の創作ではないかと疑いたくもなるが、
それも含めて、入れ子構造で、創作に関して素人とプロの垣根が無くなりつつある現代という時代について考えさせられる
ややこしくて、まどろっこしいが、こういう映画、嫌いではないです
写真が美術の仲間に入れてもらえるようになった歴史は苦難に満ちており、誰が撮っても同じではと非難され、何枚でも刷れる写真にオリジナリティーはあるのかと中傷されてきた。これら絵画のやっかみを乗り越えて、写真は単なる記録ではないと認められようになった
それはスティーグリッツが伴侶であるオキーフを撮り、マン・レイが前衛作品を撮り、ウォーカー・エヴァンスが市井の人を撮り続けたからだろう
そんな写真黎明期の無名の女性写真家のドキュメントを見る
ドキュメントでありながら、謎が多く、監督独自の解釈が入り、フィクション仕立てに
彼女の作品が美術なのか記録なのか微妙なところで、さらに、全部が監督の創作ではないかと疑いたくもなるが、
それも含めて、入れ子構造で、創作に関して素人とプロの垣根が無くなりつつある現代という時代について考えさせられる
ややこしくて、まどろっこしいが、こういう映画、嫌いではないです
丑の日はまだであるが、うなぎを久々に観る、映画のうなぎである
もう30年ばかり前の映画なのに衣装と踊り以外に古臭さは感じられず、今でも十分に通じる映画である。時代を経てもいいものはいい、それとも、人の心はそんなに変わっていないということか。もう一つは、戦後を超えた作品であることが普遍性をもたらしているのかも
今村作品には意味深でありながら無理難解なシーンが突然現れ、観ている者を戸惑わせることが多々ある。うなぎでもなぜフラメンコ?情熱の象徴?と戸惑うシーンがあるが、深作のぶっ飛び度に比べたらましなもので、このアングラ感は時代だなとも
古今東西、うなぎは貪欲なる生命の象徴であり、そのうなぎ、ブリキの太鼓に比べれば、かなり大人しめな出演である
もう30年ばかり前の映画なのに衣装と踊り以外に古臭さは感じられず、今でも十分に通じる映画である。時代を経てもいいものはいい、それとも、人の心はそんなに変わっていないということか。もう一つは、戦後を超えた作品であることが普遍性をもたらしているのかも
今村作品には意味深でありながら無理難解なシーンが突然現れ、観ている者を戸惑わせることが多々ある。うなぎでもなぜフラメンコ?情熱の象徴?と戸惑うシーンがあるが、深作のぶっ飛び度に比べたらましなもので、このアングラ感は時代だなとも
古今東西、うなぎは貪欲なる生命の象徴であり、そのうなぎ、ブリキの太鼓に比べれば、かなり大人しめな出演である
夜、家に帰ってきてテレビをつけると、ウォン・カーウァイの「恋する惑星」をやっていた
終わりの15分だけだが、懐かしく見る、出会いと別れをさらりと演出する様は春樹ワールド全開で、時代を感じる
まだこの頃、香港はイギリスだったんだよな、これからも香港では広東語で映画がつくられるのだろうか?
そういえば、「グランド・マスター」あまりの評判の悪さに、まだ見てなかったような
終わりの15分だけだが、懐かしく見る、出会いと別れをさらりと演出する様は春樹ワールド全開で、時代を感じる
まだこの頃、香港はイギリスだったんだよな、これからも香港では広東語で映画がつくられるのだろうか?
そういえば、「グランド・マスター」あまりの評判の悪さに、まだ見てなかったような
「靴職人と魔法のミシン」
2016年5月7日 映画
アメリカ映画の定番であるヨーロッパ系移民ネタ、
社会的マイノリティーであるイタリア系、ユダヤ系、アイルランド系移民の絆がネタになり
ゴッドファーザーのように,移民の末裔たちは家族が守ってくれているという,古いアメリカ神話が展開される
きっと今はこのような絆が目立たなくなったから、神話としての映画が成立するのかと
この映画ではユダヤ系の絆が描かれているが、ユダヤ系と言えば、コーエン兄弟の描く神話が好きだ
神話は忘れられたころに作られる、日本で言えば三丁目の夕日か
社会的マイノリティーであるイタリア系、ユダヤ系、アイルランド系移民の絆がネタになり
ゴッドファーザーのように,移民の末裔たちは家族が守ってくれているという,古いアメリカ神話が展開される
きっと今はこのような絆が目立たなくなったから、神話としての映画が成立するのかと
この映画ではユダヤ系の絆が描かれているが、ユダヤ系と言えば、コーエン兄弟の描く神話が好きだ
神話は忘れられたころに作られる、日本で言えば三丁目の夕日か
《マノン・レスコー》
2016年4月6日 映画
平日の夜、METのプッチーニを見に行く
いつもは空いている東劇のMETなのに、主役が人気のカウフマンから代役になっているのに、結構入っている。十分の一ほど席は埋まっている、お!オペラブーム到来か、わけないか
オペラなので、いつもながらの男と女のたわいもない話なのだが、
映画を観ながら、ずっと、ずっと前に見た日本映画を思い出した
マノンレスコーを題材にしている「マノン」という映画
主役烏丸せつこのお兄さん役のやくざなビートたけしがパトロン役の津川雅彦に絡む、カウフマンがやるはずだった役は若かりしころの佐藤浩市が、懐かし~
それにしても客は爺婆ばかりで、オペラブームは来てない
いつもは空いている東劇のMETなのに、主役が人気のカウフマンから代役になっているのに、結構入っている。十分の一ほど席は埋まっている、お!オペラブーム到来か、わけないか
オペラなので、いつもながらの男と女のたわいもない話なのだが、
映画を観ながら、ずっと、ずっと前に見た日本映画を思い出した
マノンレスコーを題材にしている「マノン」という映画
主役烏丸せつこのお兄さん役のやくざなビートたけしがパトロン役の津川雅彦に絡む、カウフマンがやるはずだった役は若かりしころの佐藤浩市が、懐かし~
それにしても客は爺婆ばかりで、オペラブームは来てない
井筒和幸、ビートたけし、さらには園子温たちが、俺たちは日本アカデミー賞なんかには呼ばれないぜとアウトロー風を吹かすが、塚本晋也という男ほど権威にこびず、日本アカデミー賞から遠い監督はいない。
昨年公開の野火、話題にはあがるが、興行的には平凡だったらしい。カルトなお客が集まる早稲田松竹でさえ、全然お客が入っていない。
太平洋戦争の末期、そんなみんなに見捨てられたような南方戦線での悲惨なできごとを暴力的に描いた本作、ある底度覚悟していても見事に打ちのめされます。きっと戦場の兵隊さんたちは、こういう気持ちだったんだろうな。それを再現し、観ている者に感じさせる塚本晋也はやっぱりすごい、人気があるないは別にして映像の力を信じることができたのが唯一の救い。
昨年公開の野火、話題にはあがるが、興行的には平凡だったらしい。カルトなお客が集まる早稲田松竹でさえ、全然お客が入っていない。
太平洋戦争の末期、そんなみんなに見捨てられたような南方戦線での悲惨なできごとを暴力的に描いた本作、ある底度覚悟していても見事に打ちのめされます。きっと戦場の兵隊さんたちは、こういう気持ちだったんだろうな。それを再現し、観ている者に感じさせる塚本晋也はやっぱりすごい、人気があるないは別にして映像の力を信じることができたのが唯一の救い。