転々

2011年1月8日 映画
子供と妻が実家に帰って、独りのんびりを許された正月休み、何をしようかと迷う
午前中は、何をしようか迷うことを純粋に楽しむという言い訳のもと、寝正月を実践
布団のなかで、何をしようかと考えながらウトウトと
寒い冬は、「暖かい布団が恋人」は至言だと納得
午後は映画にでも行こうかと思うが、やっぱりだらだらと過ごさなくては思い直し
近所のゲオで旧作100円の映画を3本、日本映画ばかり、
それも本格的変化球監督三木聡を2本も
「インスタント沼」と「転々」、どちらも三木ワールドの奇天烈な展開にふせえり、松重豊といった常連俳優がきっちり脇を固めながら応え、並行してベテラン俳優、風間杜夫に松坂慶子、三浦友和そして小泉今日子たちが家族のありがたさをしんみりと感じさせてくれる。
まあ、だらだらしながら観ても罪悪感をまったく感じさせないゆるゆる映画、まさにお正月向きである
さて、もう一本は若手監督横浜聡子のメジャーデビュー第一作「ウルトラミラクルラブストーリー」
この監督さん、気にはなっていたが観る機会を逃していて、全編青森弁という話題性にも惹かれて手にしてみた
松山ケンイチが個性的な主人公を、麻生久美子が東京から来た平凡な保育士を演じているが、どちらもストレートなだけに演じるのが難しかったのではと
次回作が来月からユーロスペースでやるらしい、その次回作に期待してみたい

鈍獣

2010年12月30日 映画
いつのまにかクリスマスも過ぎ、おせちの季節になっていた
今年は、頭もよく回らず、牛のような一年を過ごしていた、
来年は頭の病気にならないように、あまり細かいことを気にせず、前に進むことは忘れない、鈍獣の凸やんを目指そうかと

キカ

2010年8月2日 映画
かなりマニアなアルモドバル・ネタを
このスペイン人の監督さん、巨匠の割には多作で
それも初めのころは、スペインらしいコメディーものを撮っていた
そのころから重宝されていた女優さんにロッシ・デ・パルマと言う方がいる
この人、人間離れした顔をしており、天然な発言をさせるとかなりインパクトがある
どう人間離れしているかと言うと、鼻の筋が際立っており、ほとんど直線で構成されている人間アール・デコなのだ
その女優さんが久しぶりにアルモドバルの作品に出ていた
「抱擁のかけら」のほんのワンカットだけの脇役にも足りないチラ出なのだが、なぜか彼女を見つけてうれしくなった

アルモドバル監督の新作を早稲田松竹で見てきた
いや、主演のペネロペ凄いぜ、右の写真を見てもわかるように、永遠の女神であるオードリー・ヘップバーンに並んだんじゃないの
映像はひたすらビビッドで、美しく言うことなし

もう何作目になるんだろう、この監督さんとペネロペのタッグ
毎回毎回映像が凄いことになってます、映画館で観る価値あり
ちなみに話は熱いラブロマンス、大したことないのであまり期待しないでください、アジア人にとってちょっと熱すぎかも

そう言えば、オードリーの作品も映像は綺麗だけど、話は結構陳腐なんだよね

12 モンキーズ

2010年5月29日 映画
テリー・ギリアムの「12モンキーズ」を久しぶりに見る
「未来世紀ブラジル」とどちらが好きかと聞かれると、迷うところだ
同じSFロマンスを題材にしており、パラレルワールドが描かれているなど、とても共通しているところが多い
まあ、同じ監督の作品だから似てて当然か

助演に、ロバート・デニーロとブラッド・ピットのどちらを選ぶか?
主題歌は、サンバかタンゴか?
などが選択の根拠になるのか
でも、やはりどちらも好き
どうもバーチャルというものを苦手としている。世代の問題か、個人的な好みかと問われれば、五感を大切にしたいためバーチャルなものはなるべく信用しないようにしているだけだと答える。しかし、バーチャルだからこそ得られないものがあることもわかっており、まさに、この日記空間などがその好例であろう。会ったことも、見たこともない人たちと、ささやかな心の交流ができるのだ。

さて、前置きが長くなったが、この映画、バーチャルな世界が現実の世界を飲み込もうとするのに立ち上がる一族のお話。一族などと書くと、「百年の孤独」を連想するが、まさにそうなのだ。一族の輪が、友達の輪を通して大きくなり、悪と戦う痛快なお話、スピード感もあり、ストレス解消には向いているかも。バーチャルが苦手な人にも好きな人にも、安心してお勧めできる。
いい映画を教えてくれたurikoさんに感謝

ちなみにおじさんである私は、同じ監督の作品であり、少女が主役の「時をかける少女」に萌え萌え、やっぱり筒井康隆とゴールドベルグ協奏曲の組み合わせは出来レースであり、鉄板なのだ
早稲田松竹は公開から少したった作品、そう言えばこんな映画あったよな~っていう作品を二本立てで、しかも低料金で観せてくれる映画館である。いわゆる名画座だ。
そして、この早稲田松竹、そのカップリングの妙にいつも感心させられる。昨年末の二本、西原理恵子の「女の子ものがたり」とみうらじゅんの「色即ぜねれいしょん」もなかなかの好対照、満たされないゆえ流され苦しむ青春、満たされていることにもがき苦しむ青春、どちらの苦しさも奥が深いのだ。
そして、この二つの作品、父親役のキャスティングがなかなか効いている。西原作品では凶器の板尾創路が不器用なお父さん役を重く演じようとしているのに対し、みうら作品では脱力系リリー・フランキーが余裕派のお父さんを軽く演じている。もちろん、西原作品にも軽さがあり、みうら作品にも重さはちゃんと描かれており、軽さと重さはコインの表裏なのだ。ちなみに、西原作品の軽さは東京で成功したあとの主人公を演じた深津絵里であり、みうら作品の重さは貧しいクラスメートの父親役、キム兄であり、このキャスティングにもうならされた。
ちなみに私は西原作品を先に見て、そのエンドロールを見ながら明日からがんばろって思ったのに、次のみうら作品を見ているうちに私のやる気はどうでもよくなっていた。私のなかにも重さと軽さが同居してるのだ。

ホノカアボーイ

2009年12月19日 映画
 さて、今日書きたいのは、平和な日本のテレビ局が作った平和な映画「ホノカアボーイ」。私、テレビ局が作った安易でお仕着せがましい映画はなるべく見ないようにしてるのだが、不覚にも見てしまった。「ハワイを舞台にし、時間が緩やかに過ぎていく」と書けば褒め言葉になるが、「安易なロケーションで、しまりなくだらだらとストーリーが進む」と書けば貶し言葉に。私の感想は、どちらかと言えば、後者に近い
 でもね、だらだらした映画にイライラしてる自分がばからしくなってくるんだよね。そう、倍賞千恵子に「いらいらしたってしょうがないでしょ」って諭されてる気分に。でも、イライラさせたのはあんたたちでしょと文句を言いたくなったけど、勝手にいイライラしたのはこっちだし
 だから、なるべく見ないようにしている

 それにしても松坂慶子は歳を取らない、きっと魔法使いなのだろう。ポスト吉永小百合確定だね
統合への話し合いが始まったというニュースが8月に配信されていらい、続報が流されないのが気になる。この統合、世界戦略に耐えうるパワフルさを身につけるという点では合点がいっても、社風の違いがネックになるのではとの指摘が。また、前の日記でも触れたが、効率一辺倒ではない大人の企業という点で好感を持っていたが、統合にともない効率主義に少し軌道修正するのではと心配している。
『新聞は「起こった」ことについては積極的に取り上げるが、「続いている」ことについては比較的消極的な態度で臨むメディアである』という1Q84の一節を信じることにしよう。統合の取り消しが「起こった」ら、きっと報道されるはずだ。
 心の襞を密やかに描かせる映画監督と言えば、いつも贔屓にしているスザンヌ・ベガだが、日本人では?と問われれば、橋口亮輔の名前が挙げられる。そんな彼の最新作「ぐるりのこと」を遅ばせながら、映画館で観てきた。ときどき説明的でくどすぎる演出に鼻白むものはあるが、素直にのめり込める丁寧な作りで、二時間いろいろと楽しませてもらった。後半に集中する心にぐっと来る見せ場、何度も涙ぐみながら、人っていいな~と素直に感動。あまりにも素直過ぎる自分の反応、やっぱり疲れてるのかな~。
 こんな弱ってたら、心の襞をもろに見せてくれる山田洋次の作品なんか見たら、涙ぐちょぐちょになるのかな〜?
 マルコビッチの穴という言葉がある。もともとはアメリカ映画の邦題なのだが、その映画の主人公が他人の頭の中に通じるトンネルを会社の壁に見つけるというシュールな内容から転じて、なんの役にも立たないけど、その非日常性がゆえに、とっても人の好奇心を駆り立てるものを喩えるときに使われる。だいたい、文化を筆頭にメディアやインターネットで出会う話題の、ほとんどは何の役にも立たないと言い切ってよいと思う。しかし、役に立たないから不要というわけではなく、それらもろもろの話題は、役に立つために作られたわけでなく、我々の好奇心から自然発生的に出てきたことを忘れてはならない。
 さて、最近我々の周りで流行っているマルコビッチの穴は、パワースポット巡りである。東京近郊のパワースポットと言えば、御岳山や富士山などが挙げられるが、それらあらたなる土地を訪れ、宗教的価値観のもとで永く残されてきた二次自然を楽しもうという趣旨である。一般に登山と称されることもあるが、行動としては同じでも行為としては異なるのである。
 ちなみにマルコビッチの穴という言葉が通じるのは、私の周辺五人ほどに限られている。
 初詣にはとんと興味がわかないが、年末になると第九のコンサートを聴きに行くのを楽しみにしている自分がいる。
 今年は、どこのオケで、誰が指揮者で、ソリストは?場所はどこにする?などと考えるがまた楽しいのである。今年は、懐かしの場所、上野の東京文化会館で聴いてみようと思い、都響に決定!
 久しぶりの文化会館、席に座った第一印象はあれ?こんな小さかったっけ?、久しぶりに会ったおばあちゃんが一段と小さく見えた、あれと同じ感覚。他のホールが音響、デザインに凝ったつくりを競い合うなか、ここは昭和の香りが残り、文化会館という名がほんとに似合う。
 学生時代に安い学生チケットのお世話になったのを懐かしみながら、第九を聴く。そういえば、当時一緒によくつるんでた三好さんはどうしてるだろう?二人でよく聴きにもきたけど、よく二人でコンサート中に寝たよな、などと思い出がどんどんと。そう、二十代のころ、なんせ眠かった、とくに授業とコンサートでは、半分近くは寝てたような。一時間強の演奏中、そんなたわいもないことを回想しながらも、最後まで寝なかった。

 そして、第九を聴き終え、今年も終わりに近づいていることを実感
 誰彼となく、「よいお年を!」と思わず声かけたくなった


 美術同様、音楽の分野でも我々は外タレに弱い。とくに西洋発祥のクラシック音楽では、伝統、実力ともにヨーロッパに敵わぬため、仕方ないとあきらめつつ、少し残念にも思う。さて、そんな世界のクラシック界で、オーケストラの横綱と言えばウィーンフィルとベルリンフィルであろう。そんなベルリンフィルのアジアツアーを通したドキュメンタリーがユーロスペースで公開されている。
 指揮者から、新しいメンバーの入団まで、楽団員の多数決で決めるという、自分たちの権利を大切にするベルリンフィル、そして自分たちの権利を守る為に、音作りにおいては個人よりハーモニーを重んじる。そのプロ根性と、文化というものが作られ継承されるさまをじっくりと見せてくれてます、そしてドイツ人ってマジメだな〜と感心。
 劇場で聴く生音はもちろんいいのだが、映画館のドルビーサラウンドで聴くオケの音にも快感!
 いい体験をさせてもらいました。平日ということもあるが、お客さんはたったの6人、ちょっと寂しいね〜

悲しみが乾くまで

2008年11月14日 映画
 スザンヌ・ビアの最新作である、北欧出身の彼女がアメリカ資本の作品を撮ることには賛否両論が渦巻いていたが、十分に彼女らしさが出ていて嬉しかった。それは喪失に対する人の心の痛みとそれを取り巻く人々の心の揺れであり、そのなかを深淵なる愛が貫かれている。そして、いつも通り、一つ一つのシーンが紡がれた糸であり、それがていねいに織り込まれることで見事なタペストリーのような作品が完成されていた。私は彼女の作品を鑑賞するとき、糸のつながりを読みほどくのではなく、完成されたタペストリーを少し引いて眺めるのが好きだ。
 もちろん今までの作品と異なるところもある。今までの作品では、戦争や貧困などあまりにも事情が複雑で個人で太刀打ちできない大きなテーマが障壁として選ばれていたのに対し、この作品は個人の問題に比較的還元しやすい麻薬と銃が扱われている。その点、エンディングへの道は平坦でなくとも、迷うことはない。これはアメリカ映画の特徴の一つであり、いろいろおきてワクワクするが、ちゃんと終着点は用意されていると。
 そして、この作品のもうひとつの見所は、アメリカが誇る性格俳優ベニチオ・デル・トロの主演であろう。駄目人間を演じれば右にでるものはいない彼、今回も悩める薬中をなんなく演じきっており、ポスト・ロバート・デニーロにまた一歩近づいたこと間違いなし。そうなると、駄目男だけでなく、神や悪魔など超越的な役を演じる彼も見てみたいものである。
 ちなみに、原題の"Things we lost in the fire"のほうがいいのは、みんなが賛成するところであろう。
 情報をもうひとつ、この作品で音楽を担当したグスタヴォ・サントオラージャは、「マイ・ブルベリー・ナイツ」や「ブロークバック・マウンテン」でも楽曲を提供している売れっ子のミュージシャン、ちなみにもうすぐアメリカで公開される「
ザ・ロード」の音楽も担当しているらしい。
潜水服は蝶の夢を見る
 この題名は映画の内容そのものである。意識は清明でありながら眼球運動以外が麻痺してしまう閉じ込め症候群になった編集長のお話。まるで潜水服を着ているかのように体の自由が利かない主人公は、自由に飛び回る蝶を夢見るのだ。感嘆するのは、想像力を蝶のように羽ばたかせるだけで終わらず、温めてあった夢を実現に移す彼のバイタリティー。恋人への愛の言葉を元奥さんへ託すあたりも凄い!肉体的ではない、精神的な欲の深さと言おうか、寝たきりになっても彼の脳内ではホルモンが出まくりなのである。しかし、それが情動で終わらず、歴史の中で生きている個人の感情に昇華しているところがすばらしい。こういう映画を見ると、さすがフランスだな〜と思ってしまう。人間への愛なのだ。
 「生きてぇ〜、生きてぇ〜」と研ぎ屋の辰治が叫ぶ、「パンドラの鐘」の堤真一が叫んだ「みずを、みずを」に共鳴して聞こえる、これだけで僕たち野田秀樹世代はうるうるである。それを天下の大役者中村勘三郎が演じる、これで感動しないわけがない!人生に何度か、魂の叫びを少年のような純真な心で発する機会がある、でも僕たちおじさんたちにはその機会は滅多にこない、いやもうこないかもしれない、そう思うと、うるうるするのでる。
思わぬところで、思わぬものに出会えると、思わずにやりとしてしまう
映画の音楽がその格好の例であり、
思わずこの曲なんだっけと、映画そっちのけで、記憶への大冒険が始まることもしばしば
悲しいかな、私の記憶はタコなため、大冒険の途中で迷子になってしまうこともしばしば

この映画では、ECM時代のキース・ジャレットに出会える

魔笛

2007年9月7日 映画
魔笛
私のイギリスの勝手なイメージは、モンティ・パイソンである
おばかに見せながら、すごく真面目で、それでいて皮肉に富んだ世界
しかし、同じイギリスでも色々あるもので、こんなイギリスも悪くないと
ケネス・ブラナー監督作品、オペラ映画「魔笛」である
もう音楽がすばらしい
もともとのモーツアルトの魔笛がおばかなお話だけに、ストーリーは荒唐無稽
心地よい音楽に心奪われるていると、安易なスローガンとともにあっけなく終幕へ
あまりにもストレートさに、ねじくれた性格の私など、おばかな真面目さの裏に何かが隠されているのではと疑ってみるものの、やはりあるのは音楽のすばらしさだけ。ドラマを期待する人や、オペラはドイツ語かイタリア語でないとダメというこだわりの人にはダメかもしてないけど、単純にクラシック音楽のシャワーを二時間強浴び続けたい人にはお奨めの作品

オテサーネク

2007年8月17日 映画
さて、今日、私がひたひたと語りたいのは、チェコの映画監督ヤン・シュヴァンクマイエル
この監督さんの作品にオテサーネクというのがある
切り株の赤ん坊が全てを食い尽くすという、なんともシュールな内容である
実際にシュールなのは切り株の赤ん坊ではなく、切り株を赤ん坊にしたてた人間たちなのだが
じつは、ここだけの話し、うちの息子はオテサーネクではないかと思うくらい食欲があるのである。日中預けている園でもそうらしいのだが、朝も晩も、茶碗一杯のおかゆをペロリ、デザートのバナナ半本をぺろり。そしてオテサーネクそっくりなのが、お椀の中が空になったのを知るや大きな声で泣くのである
食べられないように気をつけなくては

ボルベール

2007年8月15日 映画
今日、私がひたひたと語りたいのは、スペインの映画監督アルモドバルである
大好きな監督の一人であり、彼の新作、ボルベール<帰郷>が東京にやってきた
今回もシリアスなテーマを扱いながら、最初から終わりまで、悲壮感が漂うことがない
彼の作品に登場する女性たちは、そのシリアスな状況をものともしない強さがある
それは、彼の中期の作品、「神経衰弱...」あたりから一貫している特色であり
アルモドバルらしさの所以である

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