スキー

2016年3月29日 映画
家族で上越にスキーにゆく、じつに二十年ぶりのスキーだ

今年は雪が少なく、山のふもとでは白い雪がまったく見当たらず、不安になるが、さすがスキー場、ゴンドラに乗って一山超えると、一面真っ白な銀世界が待っていた
二十年ぶりでも体は覚えているもので、それなりに滑れる

スキーは楽しい

この映画からしばらくスキーブームがあった
バブルの崩壊とスノボーの登場で、以前ほどの加熱ぶりはないけど、私のようなスキーブーム期にスキーをやっていた人たちが子供を連れて、ゲレンデに戻りつつあるらしい
時代は”子供をスキーに連れていくよ”らしい

黒衣の刺客

2016年3月10日 映画
台湾の侯孝賢は好きな監督さんの一人だ、名前の発音なんて好き嫌いと関係ないけど、好きだから、ホウ・シャオシェンという音を聞いただけでなんか嬉しくなる
初期のノスタルジックな「冬冬の夏休み」や「童年往事 時の流れ」もいいし、激動の時代に翻弄される市井の人々を描いた代表作「非情城市」も大好きだ。21世紀になると、近代化の産物である都市生活者の寂寥を描いた「ミレニアム・マンボウ」を発表したりと、この監督さんの作品は台湾の歴史とともにあり、絶えず変化している

そんな彼の新作、中国の歴史もの「黒衣の刺客」を馬場の名画座で1月末に見た
ここのところずっとコンビを組んでいるスー・チー、もうすぐ40だというのに、まだまだ美しい。美しい衣装に、美しい景色、そしてたわいもない寓話、ん!?、なんかデジャヴを感じると思ったら、正月にレンタルして見た「ザ・セル」のターセム監督の「落下の王国」のデジャブだ。正直、途中何度も眠くなり、何度も落ちる。そして、素朴な「冬冬の夏休み」と同じ監督さんの作品とは思えないほど手が込んでいる
ホウ・シャオシェンは失敗をおそれず新しいものにまだまだ挑戦しているのか、それとも名をなした監督の末期の作品か、どちらなのかは今の私にはよくわからなかった

まあ、併映で大好きな「非情城市」を観られたから良しとしよう
アムステルダムをホームにする世界三大オーケストラのひとつ、ロイヤルコンセルトヘボウをテーマにしたドキュメンタリー映画を観てきた

アムステル市街の運河での野外コンサートの映像から、アムステルダム市民に愛されていることが伝わってくる
世界中への巡回公演の映像がてんこもりで、最初は教育としてのオーケストラの役割等、普遍性のある固めのテーマをあつかい、さすが論理的なオランダ人などと思いながら見ていたら、最後は世紀末の偉大な音楽家マーラーに秘められた精神性に焦点が。時代は21世紀だけど、やはりまだまだ人々は20世紀のノスタルジーから抜け出せないでいるのねと納得

アムステルダム市民が愛してるのは、アヤックス、アムステルダム国立美術館とこのオーケストラらしい
国立美術館のは見てるので、ぜひアヤックスのドキュメンター映画も見てみたい、あるのかな?

全然大丈夫

2016年2月5日 映画
世界中が不条理に満ち満ちているというのに、なんて平和な映画なんだろう
大して何もおこらず淡々と時間が過ぎる世界に、大人計画の大人になりきれない大人が出演している。内容はほぼ大人計画、映像はほぼ小津
組み合わせとは妙なもので、吉と出る時もあれば凶となるときも
例えばフランス人が誇るレモンタルト、レモンと砂糖という単純な組み合わせなのに、レモンの風味と酸味が砂糖の甘さと相まっただけで、甘酸っぱい極めて完成度の高いお菓子ができる。
いっぽうで、個性のぶつかり合いで残念な結果に終わる組み合わせもある

残念ながら、この映画の大人計画と小津の組み合わせは後者の傾向が強いか、大人計画も小津も好きなだけに残念
もちろん、この平和な映画にも不条理がないわけではないが、脱力系大人計画ワールドでは、全然大丈夫といなしまくっている

以上が私の選んだお正月映画
お正月のゲオで、どれを見ようと悩むのはじつに楽しかった
世の中は暴力という不条理で満ち満ちていて、希望はない
だからこそ、やられたらやり返せ!希望は自分で掴むしかない!、というわけで保安官が活躍する西部劇の世界が求められる

21世紀のオーストラリア版西部劇、スーパーポジティブで、おバカな映画
どうしてオーストラリア人はこんなおバカなことを考えさせると天才的なんだろう
人物、音楽、景観、道具、乗り物、武器すべてを全力で作り込んでいます
下品さもピカイチ、低俗で悪趣味だが、惹かれないこともない

ただ、きっと作られるであろう続編を見るかと聞かれると、悩ましい
一回は見ておくべきだろうけど、二回はいいか
ノーカントリーが、偶然と必然の運命は隣り合わせであることをシニカルに描いていたのに対し、
相変わらず、スサンネ・ビアは、偶然はあるかもしれないが選択をしたのはあくまでも自分であると言う現実の厳しさを突きつけてくる。今回もかなりシビアです
こんなシリアスな映画は正月早々観るもんじゃないと少し後悔、お屠蘇気分が一気に飛んで行ってしまった
最後のシーンと、原題の”次のチャンス”がポシティプなのがうれしい

正月映画

2016年2月2日 映画
コーエン兄弟の映画はだいたいチェックしてたのに、この作品、アカデミー賞で4部門も受賞したせいで、私の思い込みのプライドがアカデミー賞を取る映画なんて見てられるかと啖呵を切って、見逃していた。でも、観てなかったのを深く深く後悔するほど好きな作品だった。やっぱり思い込みはいけない
普段は合理的なアメリカ人が何か自分たちの理解できないもの、不条理を目の前にしたときの達観ぶりが心地よい。
不条理の権現として映画に光臨する殺し屋シガーを演じるハビエル・バルデムが凄い、今までも「夜になるまえ」や「ビューティフル」などスペイン語圏の映画で性格俳優として好演してたけど、アメリカ映画でもなかなか。ちなみに奥さんはペネロペ・クルス、この人も、スペイン映画出身でアメリカ映画でも活躍
あまりにも共感できたので、ずっと気になっていたマッカーシーの原作を読んでみよう

お正月の映画

2016年2月1日 映画
もう正月が過ぎてひと月が経とうとしている、月日の流れるのは早い。2月もあっという間に飛んで行くんだろう
さて、そのお正月、妻子が実家に帰り、独りだったので、奥多摩で山に登ったり、仙川の岩盤浴で寝たり、ここでも不眠症のせいで眠れなかったけど、近所のゲオでビデオを借りてきたりと、それはそれはのんびりと過ごした
何のビデオを見ようかとビデオ屋さんで悩むのがまた楽しい

まずは、「ザ・セル」のターセム監督の「落下の王国」。この監督さん、あまりにも「ザ・セル」の評判がよかったため、必ず『「ザ・セル」の』という枕詞がつく。その「ザ・セル」で、他人の夢に入っていく、さらには他人を自分の夢に入れるという奇抜なアイデアを観たときの衝撃は今でも憶えている。まあ、柳の下のドジョウじゃないけど、新人で評判の好かった監督の第二作は期待はずれなことが多く、「落下の王国」も借りて観るのにずっと躊躇してたんだよね~。悩みに悩んで正月の運試し、『「ザ・セル」の』ターセム監督に賭けてみることに。
怪我をしたスタントマンが病院のベッドで語る不思議な寓話の世界。それは、ゴレンジャーかと見間違えるような原色の衣装に身をまとった戦士たちが不思議な世界を巡りながら悪の王様を倒す劇中劇。劇中劇を語るスタントマンと、やはり木から落ちて入院している移民の少女との現実世界での交流が劇中劇とパラレルに描かれる。劇中劇の衣装も舞台の景色も美しい、ただ、あまりにも寓話がたわいなく、展開がゆっくりしているため、こちらが夢の世界に落ちてしまいそうになる。夜、眠ろうとしても眠れないのに、昼間映画観てたりするとついウトウトしちゃうんだよね
スタントマンが活躍する活劇と移民たちの労働に支えられたオレンジ栽培のおかげで、これから栄えることになるロサンジェルスの原点が、哀愁を持って描かれておりほっこりする。展開の遅い謎多き劇中劇の寓話がどこまで必要なのかでは意見の別れるところだが、最後でほっこり出来たのは、少しは劇中劇のお陰なのだから、これで良しと思う
でも、やっぱりターセムは『「ザ・セル」の』監督だな
ベルギー人兄弟が監督した2014年の作品
今までの作品はほとんどがカンヌでなんらかの賞を取っており、映画を芸術と思っている人たちとの相性はいい
前作までは、この世の中のろくでもないものを見せて、後味の悪い作品に仕上げていたのに、今回は最後に希望の光が射してくる明るいシーンで終わる
後味が悪かろうが、希望で終わろうが、どちらもありだと思うが、変化球しか投げないと思っていた監督がいきなり直球を投げてきたので驚いた。きっとカンヌのお客さんも驚いたことだろ

この監督さんの作品はやっぱり好きだ
好い意味でも,悪い意味でも,相変わらずアクセル全開の園子音監督の作品
メッセージはもちろん強く,センスの無さももちろんピカイチ

でも,ちょっとセンスの無さへの言い訳が目立つような,いやここまで酷いと,この趣味の悪さは演出なのかと疑いたくなる
この監督さんに繊細なテーマをあつかうセンスはないので(ややこしいのでそういうことにしておくと),繊細な映画はダルデンヌ兄弟,ミヒャエル・ハネケや青山真治に任せておいて,園子音監督にはカタストロフィへ一直線のスピード感のある映画を撮り続けて欲しい
もう,タランティーノや北野のように,パルム・ドールや金獅子賞はもらえないかもしれないけど,フカサクの真正な継承者として評価され続けるであろう

ダサくてもいい,エネルギッシュな映画を見たい方におすすめ

0.5ミリ

2015年7月14日 映画
じつに様々な問題が詰め込まれている,戦争,孤独,詐欺,性暴力,見栄,介護,貧困
まあ,よくもまあダメダメなものをこんだけ詰め込めるものだと,しかし,3時間と言う長丁場ながら飽きはこない
なんかドストエフスキーの長編作品を読んでいるような気分で,飽きないのだ
舞台が21世紀の後進県高知と言うのもなんとなく似合っている,そう言えばダメダメのサイバラ映画も高知が舞台だ
ドストエフスキーのように神は出てこないが,サワという悪魔と女神が同居してるような主人公が,0.5ミリの距離感に迷える子羊を導いてくれる,ありがたい,こういう人を日本人は観音様って呼んできたんだろうなと
それにしても,どうして日本映画では本編とは関係のないボーカル曲がエンディングで急に流れ出すのだろう,その唐突さは閉店間際のパチンコ屋の蛍の光に似てる
感受性豊かだった青春時代の不安感
大人になっても不安感なんて無くならないんだよ、不安に慣れて感受性が鈍くなるだけで
岩井俊二さんはそんな当たり前のことを優しく教えてくれる
テンポが良いので飽きない

春夏秋冬、季節とともにいろいろな料理が出てくる
どれも素朴な田舎料理だが、下処理などに手間ひまかかっているものもみられ、田舎の人のマメさに感心する
一番おいしそうだったのは、主人公が土鍋で炊いた白ご飯、料理はシンプルだが材料のお米を作るのに手間ひまかかってる

そして、農家の嫁さんたちがしてた、今年は、この野菜は良く出来たけど、あの野菜はダメだった、スーパーで買ってきてるよという世間話が印象的
田舎ならどんな野菜もいつでも美味しいと思っているのは都会の人で、その土地土地の風土、その年年の気候によって、美味しい野菜ができたりできなかったりするものだ

料理の美味しさの半分はノスタルジーから出来ているので、小さい頃から食べ続けてきた人にしかわかない美味しさってあるのだろう。土筆とミズのうまさは何度食ってもわからない、養殖物のニッコウイワナも美味しいと思わない、ごめんなさい

岩手の山間地で、自分で食べる米と野菜を作りながら、いろいろ悩みながら、成長する美しく若い女性の映像
とてもフォトジェニック!映像が美しい、美しい写真集を見てる感じ、その名も農ガールみたいな
悪く言えば、平成の軽薄短小なのだ

映画を見終わって、リアルとは何かと考える
おそらく現場では、ワンカットごとにメイクさんが女優さんのメイク直して、マイクチェックして、照明さんががんばって、カットカットと助監督さんが叫びながら、ワンシーンずつひとつひとつ丁寧に撮って、編集できちんと時間に収まるようにした作品。丁寧で、真面目で、たくさんの人が関わり、日本人はこういう映画を作らせると実に素晴らしい。美しい映像、聞き取り易い会話、心地よい音楽、分かり 易いストーリー、適度の謎。まるで日本製の炊飯器のようにクール
会社が作った映画なのだ。悪く言えば個人が創った映画ではない。

オブラートに包まれた、あいまいな優しさがここにある
生々しい人間の生き様を好む園子温監督や井筒和幸監督がみたら、こんなん何にも表してないやんけ、しょうもないな~って糞味噌に言いそうな作品
まあ、映画なんて多様でいいのだが、私ももうひとつ喰い足りない気分に
疲れ切った時、何も考えたくない時、ぼ~っと見るには良い映像かもしれない
でも、それだったら、窓から外を覗いて、現物の緑や空を見るな、いくら東京だって少し歩けば緑や空はあるのだ
現物に勝るリアルなし

あ、でも好い映画です
まじめに映画を作ったROBOTの人たち、天邪鬼な感想しか書けなくてごめんなさい
終盤に差し掛かるあたりで、昔の映画アメリカン・ヒストリーXに似てると気づく
アメリカンヒストリーXでは人種差別が背景にあるが、ここでは母子家庭が、と思ったらXでも父の不在はキーワードだったような
四半世紀経とうが、背景が違えど、暴力による支配は線路のようにどこまでも続き、何度も映画のテーマになっている
力関係の非対称がある限り、このテーマが無くなることはないのだろう、とくに権威である父が不在のアメリカでは

そして、この監督さん、暴力による支配でさえ妖艶に見せてくれる。この感性、好きか嫌いかは個人で大きく別れるだろうが、権威のある映画祭では認められている

少し話題はずれるが
パターナリズムによる支配と、弱者に対する自立の手助って、違いは微妙である
いわゆる虐待なのか躾なのか、子を持つ父親としてこれはとても悩ましい

薄氷の殺人

2015年5月13日 映画
映画を娯楽作品としてより芸術作品として扱っている権威のある映画祭では、作品の完成度より作品の感性に重きが置かれる。ベルリン国際映画祭で評価されたこの作品、ひた走る感性に目眩してしまう。ほとんどの芸術作品がそうであるように、話が予定調和に完結することを期待していると肩すかしを喰らってしまう。
芸術って、人間ってじつにややこしい
そして、非言語的な感性で描かれた人間模様は、僕たちに深い心象を与えてくれる
権威ある映画祭の受賞作品が好きな人にはお薦め、と言うか、権威ある映画祭の受賞作品である
角田光代の小説はほとんど読んだことがないが、この監督さんの前作「桐島うんぬん」が新鮮だったので、あまり期待せずに見にゆく。なんでも期待し過ぎてはいけない
第一印象は、さすが松竹さんのような大手の作るものは、見ていて安心感がある。途中どきどきしても、ちゃんと予定調和の範囲で収まる。もちろん、監督の個性も前に出るようにできている、さすが大手だね。出版物もそうだけど、大手が作る安心感って心地よい。もちろん、バランスの悪いインディーものを見たときの新鮮さはそれはそれでクセになって病められないんだけどね

主演の宮沢りえは夜タモリを見てても思うのだが、永遠の少女さではポスト吉永小百合だなと
ただ少女という言葉の意味が時代とともに変遷しているので、この二人を同じなどと言うと、どちらのファンからも違うよ〜って言われてしまいそう
同じ少女だけど、全然違う。吉永小百合を向日葵に喩えるなら、宮沢りえは山梔子か、どちらも好きな夏の花である

ウール100%

2015年4月8日 映画
ウールだとずっと信じて冬の間履いていたズボン、昨日、何気なく洗濯タグをみていて、驚きの真実が判明、これ綿パンだったんだ。慌てて、チェックするとウールと信じてた綿パンがもう一本、いやいや、その二本、履くたびに、なんか寒いなと思って、いつもズボン下と一緒に履いてたんだよね。もう、だいぶ履き古したから、生地が薄くなって寒いのかなとも思ってたけど、綿だったんですね。
人間の思い込みとは凄いもので、あれほどウールパンだと信じていたのに、今は見た目も触り心地も間違いなく綿なんです
技術が進歩して見た目の違いがあいまいになったのか、それとも私の感性が劣化しただけか
ゴーギャンの絵がオークション市場で過去最高の値段をつけたらしい
ヨーロッパで生まれ育ったゴーギャンは自分の内に抑圧された野生に南海で目覚め、絵にした。その解放された野生は現代人にとって、今も新鮮ということか

たまたま、そんなことを考えながら、トリアーの問題作、ニンフォマニアックを観た
ダンサー・イン・ザ・ダークを見たときもかなりの衝撃を受けたが、こりゃまた刺激的な作品である。野生の一つである性欲をあつかっているのだが、それを一筋縄で終わらせないのがトリアーである。性って何?自然なの?そもそも西洋人が抑圧してきた野生ってほんとに野生なの?なんて高尚に構えてると、最後にガツーンとやられます

ゴーギャンの絵にオークションで値段がついたのは、きっと野生の新鮮みがあるからではなく、みんなが好いと言っているからに過ぎないのだろう

Leviathan

2015年1月20日 映画
またまた、すごいドキュメンタリー映像を見つけた

まだ若かりしころ、環境調査がらみで、沿岸定置網の漁船によく乗せてもらっていた。そんな岸から数キロしか離れないような漁船でも、錨を下ろしての作業中は揺れるし、水しぶきは飛んでくるわ、魚の粘液の金属臭がまとわりつくわ、船の上は粘液でぬめぬめしてスリッピーだわ、カモメは飛んでくるわ、結構大変だったのを憶えている
沖合の底引って、きっと異次元に違いない、というのを映像化したドキュメンタリーである

ただ、経験から言えば、船の揺れと海鳥の襲来は映像でも伝わるのだが、水しぶきの痛さ、魚臭や船の上のぬめり感はいかんせん伝えようがない
映像って便利だけど、やはり不自由なメディアでもある

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