大いなる沈黙

2015年1月14日 映画
神がいないことが自明になった現代でも、物質ではない精神的なものを重んじ、修行に励む人たちがいる
日本の禅寺の修行僧、インドのサデュー、カソリックの修道士、私は知らないが、おそらくイスラムにだって修行僧はいるだろう
そして同じ修行をするものでも、厳格なものから世俗的なものまで、その清貧さはさまざまである

アルプスの麓の谷間にひっそりと佇む、ある厳格な修道院のドキュメンタリー映像
映画だと思って観ると、痛い目に遭います、修道院に入る覚悟で観ないと、3時間持ちません
肉体的な厳しさは体験できないけど、ぬくぬくのこたつに入ってうつらうつら観ても、現代人がどこかに置いてきてしまった何かを感じることはできます。
学習やら認知やら、さらには選択と言った人間固有と考えられてきた能力をコンピューターが持つことによって、どんどん人間に近づいてきた。壁を隔ててしゃべったら、相手がコンピューターなのか人なのか、わからないところまできっと来てるんじゃないかと

ただ、人間とコンピューターの間に越えられない大きな溝があることもわかってきた
下衆な喩えを使えば、壁の穴を介した性交で、AだろうがVだろうが、物理的な快感に違いはないのに、心の感じ方ではやっぱり大きな違いはあって、A性交への抵抗は入れる側にも入れられる側にも残っているということか
壁があれば溝には気づかないのに、壁がなくなって自分の入れてるのがオカマの穴だと想像しただけで萎えてしまう壁はあ るのだ
逆に言えば、この溝を越えるのに必要な寛容さを持てないのが人間なのだ
つぎに人間は寛容さに欠けているコンピューターをきっと作ろうとするだろう
やっぱり溝は埋まらないんだけどね

なんてぐるぐる感を感じさせてくれるアメリカ映画
この監督さんの見せてくれるメビウスの輪のような泥沼は結構好き
泥沼なんだけど、最後に光を見せるところはやっぱりアメリカ映画って感じさせる
アルゲリッチに劣らず破天荒なフォーク歌手が主人公
アルゲリッチは成功して三人の子供たちも含め、なんら不自由ない生活を楽しめている
かたや、主人公のフォーク歌手は知人の家を転々としながら、金の匂いのしない自分が歌いたい曲だけにこだわり続ける
商業主義に走るのも自由、商業主義に背をむけるのも自由、そんなやっかいな自由を、コーエン兄弟が仕込み満載の映像で見せてくれる
CDでしか聴いたことがないが、彼女の演奏に何度ドキドキしたことか
プロコのピアコン、動物の謝肉祭、そして様々なショパン
そんな彼女のドキュメンタリー映画を観に、渋谷へ

ある芸術家の作品が好きだからといって、その人柄も好きかというと、それはまったく別の話なんだけど
この天才の破天荒さには、作品同様やはりドキドキしてしまった
その性格の破天荒さは、エンディングで流れるバッハにもしっかり表れている
ダルデンヌ兄弟やミヒャエル・ハイネの作品のように人間の負の部分にスポットをあてて、後味の悪い映画ってある。これらの監督さんたちはカンヌの常連であり、この手の作品は非ハリウッド映画業界での受けはよい。
ダルデンヌ兄弟の作品のダメな男のように、ブルージャスミンのケイト・ブランシェットも見事にイヤミな女を演じている
ただ、ダルデンヌ兄弟がダメ男をリアルに撮るのに対し、コメディ映画が得意なウディ・アレンはコミカルに描こうとする
リアルでないものに僕たちは感情移入しにくく、見てから一日経つのに、何かもやもやしたものが残る
オタクな文化部も、要領の良さそうな帰宅部も、そして競争に明け暮れる運動部も、それぞれに悩みがあり、大変なのだ
自分の高校生時代は、もっと子供っぽくて牧歌的だったような、でも、よくよく思い出してみると、昔も関係に右往左往される青春があったような
ちなみに私は要領の悪そうな帰宅部だった

ノルウェイの森

2014年8月16日 映画
私の記憶が確かなら、はにゃ。さんが、わざわざ映画館で見なくてもいいよと教えてくれたような。ケーブルテレビでやってるのを見つけて、録画したものを終戦記念日に独りで見る
ベトナム出身の、ほぼフランス映画のような作品を丁寧に撮る監督さんで、映像が心地よい
う~ん、原作を読んでいることを前提としているのか、説明が不親切な箇所もちらほらと、まぁその箇所はきっと原作でも抽象的で、ほぼ原作に忠実になろうとすると、映像化したときに、不都合が起きるということか?
原作に忠実とは言っても、原作は文学作品なので、その解釈は読み手によって微妙に違ってくる。ベトナム人監督は、恋愛小説寄りの解釈をしており、戦後日本で生まれ育った私のそれとは当然異なり、新鮮と言えば新鮮だった

失っても人の記憶に残るというくだりが、終戦記念日に重なる。きっとこの感覚は今の若い人やベトナム人監督にはないだろう


カルト系の映画監督として有名なホドロフスキーの新作が今年の夏、上映されるらしく、その手のサークルでは話題になっている
何がカルトかというと、想像だにしない展開に観客は置いてけぼりにされ、タオイズムやインド哲学の影響と思われるほんとに必要なのかどうか怪しいアジアンテイストに悩まされる
一言で言えば、ディズニーとは対照的な不親切な映画なのだが、スルメ的な味わい深さに耐えられる人には支持され、哲学同様、高尚な暇人趣味の対象としてはたまらない

さて、そんなホドロフスキーを敬愛して止まぬデンマーク出身の監督、ニコラス・ウィンディング・レフンの新作がやばい
師匠同様、怪しいアジア風なドクドクスパイスにクラクラしてしまう
決して、誰にもお勧めできないが、
地球の多様な価値観を火星人に説明したいときに、「アナと雪の女王」とセットで見せるべきだと思う
映画は我慢と思いながらも
話題の中国人監督の映画3本立てにたまらず、仕事をほっぽり出して高田馬場へ
昭和を感じさせる雰囲気が懐かしい、ぐんぐん突っ走る世の中で何かを求める若者たち、求めるものを喪失した若者たち、喪失したものを何かで埋め合わせようとあがく若者たち
これって初期の村上春樹じゃんと思いながら、あっと言う間の6時間、
終わって仕事場へ戻ったら、仕事相手からの電話メモが机の上に、戻ってきて良かったと思った小心者の私は映画の主人公には到底なれない

むなしさではないのだが、底のない不安感に襲われる

4人の男女の群像劇で、劇団出身の監督だけあって、20世紀の伝統である不条理劇ふうに仕上げている
集団の暴力に人が不条理を感じていたのは人がサルだったころからかもしれないが、20世紀特有の不条理とは、国家の形や社会システムや集団の価値観など、もろもろのレベルで、刻々と状況が変化するなかで、不安を感じることだと思う

急激な進歩の陰に不安あり

人は不安になると、自分から変化し流れに迎合する人と、あくまでも昔の自分に固執し時代に抗い、取り残される人に分かれる。その状況を、「私のデボン紀は終わったよ」とか「俺はまだデボン紀なんだよね」という喩えで語らせるセンスに拍手

弱き人は、唯一、人との記憶に救われる

まだ貧しかった時代の私にとって、他人と共有した料理と言えば、すき焼きじゃなくて、水炊きなんだよな、そういえばあの時代、不安なんてあまりなかったような、でも、それは私がまだ幼く無邪気だっただけ?

共喰い

2014年2月19日 映画
初期の工藤哲巳の作品は、ロープの止め結びを両側でちょん切って作ったノットが無数にくっついている。ロープの切られた断面には三つ目がみえ、無数のノットだけでも気持ち悪いのに、それぞれのノットの三つ目が不気味さを増している
この三つ目は何だろうと近寄って見てみると、ストランドの芯である。ロープは、糸で撚られた複数の紐(ストランド)を、さらに撚り合わせて、強度を増すように作られているのだが、三つ目の正体は三つ打ちロープのストランドの繊維心らしい。材質はゴムのようにもみえるが、いかんせん時代物で全体的に汚れていてよくわからない
伸縮性ロープで繊維心に他の素材を使っていたり、ロープの摩耗マーカーとして繊維心に違う色の糸を使っているのを見たことはあるが、一般的な三つ打ちの綿ロープのストランドに繊維心が入っているものは見たことがない。もしかしたら、昭和の綿ロープには三つ目があったのだろうか
さて、時代とともに、工藤はちんけなノットをくっつけるのではなく、ペニス様オブジェをくっつけるようになる。おそらくペニスは権力の象徴であり、自由主義の発展課程で、国家や父親といった権力による暴力が疎ましく思うのは世の常であり、それを題材にした映画も数多く作られている。いや、この王道のテーマはこれからも数多の作品を生み続けるであろう
この青山真治監督の新作も、昭和という時代の、国家と父による暴力を描いている
昭和が戦後から始まっていると勘違いしがちだが、戦中から続いているのであり、戦中の日本人の父であった昭和天皇がセリフと作中のラジオ放送のなかで出てくるが、その登場があまりにも唐突で面食らう。
園子温が暴力をあくまでフィクションのなかで撮ろうとしているのに対し、青山がリアルに鬼畜を描こうとしているが、どちらの作品も善良なる人を不快にさせる点では同じである

追記:先日、ホームセンターでロープの断面を見ると、ちゃんと三つ目があった。見る目がないのは私のほうだ。

地獄でなぜ悪い

2014年2月14日 映画
この監督さん、もともと万人受けする作品を撮る人ではなく、どちらかというと善良なる人を不快にさせる作品を得意としている
今回も、後味が悪く、下品で、エネルギーに溢れる映画に仕上がっており、善良ではない私は楽しんでしまった
しかし、こんなカルト映画に賞をあげるトロント映画祭ってすごいって思ったけど、カルト部門での受賞なんだよね
そして、この監督さんやタランティーノに、死後も慕われている深作さんはやっぱりすごい
ちまみに、その深作さんを含めたさまざまな映画へのオマージュ作品なので、デジャブーの連続である
カソリックではないのだが、死ぬまでに、モン・サン=ミッシェルとサンチャゴ・デ・コンポステーラ大聖堂には訪れたい
そんなモン・サン=ミッシェルの風景を楽しみたく、「ツリー・オブ・ライフ」の監督さんによる新作を観る
美しい映像と美しい音楽に乗って、人生が流れてゆく。説明が少ないだけ、鑑賞する側に自由度が与えられていて、音楽と映像に身を委ねる。お目当てのモン・サン=ミッシェルの映像はそんなに多くなく、アメリカの大平原の景色が続く、乾燥しているためか空が青く、地球影もくっきり見える
この監督さん、汚染された土地や河川でさえ美しく撮るってどうなのよ

すべての名監督が名作を作り続けることができるわけではなく、やりたかったことをほぼやり尽くし、早くに引退する監督さんも多い
そのまま眠り続けていれば若い頃の名誉も守られいいものを、突如現れたりして
プロデューサーという山師に呼び戻されたのか、はたまた、若かりし頃の夢が忘れられず自分で起きてきたのか知らないが、そんな幽霊監督が久しぶりにメガホンを取った作品は、だいたいが静かで独りよがりで、ロクでもないことが多い
あの「ディーバ」、「溝の中の月」、「ベティー・ブルー」という名作を30代で立て続けに撮ったジャン・ジャック・ベネックスの10年ぶりの新作「青い夢の女」はひどかった、その10年前の「IP5」もひどかったんだけど
そんなことを思いながら、レオン・カラックス監督のホーリー・モーターズをあまり期待せずに早稲田へ観にゆく
う~ん、監督さんの頭のなかのもやもやとした世界観を、シュールに怪優ドニ・ラバンが演じてくれる、ある意味、期待した通りか
同時上映のポンヌフの恋人がエネルギーに溢れた名作だっただけでに、こんな回想ものは映像化する必要もなく、文章でもいいんじゃないかと。だいたい、昔は偉かったかもしれないが、爺さんのプライベートな回顧に、製作現場の人たちから映画を見る人も含め、こんなに多くの人がなぜ付き合わされないといけないのかという疑問が最後まで付きまとう。オナニーは隠れて自由気ままにしたほうが気持ちがいいのを知らないんだろうな
でも、さすが腐ってもカラックス、その映像美にはわくわくさせてくれるものが残っており、往年のファンはニタニタしながら楽しめたのだった
プジョー205はやっぱりかっこいいぜ

愛さえあれば [DVD]

2013年12月10日 映画
人生はつらく、社会は複雑である、そんな状況下で、登場人物たちは選択に迫られる
そんな映画を撮ってきたスサンネ・ビアの最新作は、やっぱり悩ましい選択ものなのだが
今までの作品よりは選択のハードルがあきらかに低く、安心して気楽に楽しめた
人によって好みは別れるだろうが、素直でない私はより深刻な前作「悲しみが乾くまで」のほうが好みか

だいたいビデオのパッケージからして明る過ぎ、従来のスサンネ・ビアファンとは違う客層ねらいか

セデック・バレ

2013年11月19日 映画
評判の映画だと聞いていたが、残虐なシーンも多いため、観ようかどうか迷っていた
月曜日の午後、空いた時間ができたので、早稲田松竹で一部と二部を一挙に鑑賞
内容は、日本による台湾統治下でおきた、台湾原住民の抗日暴動、霧社事件を題材にしている
台湾原住民と言えば、戦中、日本軍に参加した高砂族という名前は聞いていたが、これはたくさんある部族の総称で、今回の映画は、その一つセデック族のお話らしい
いや、長い長い4時間で、後半に延々と続く戦闘シーンに嫌気がさしたが、やくざ映画を見たあとのような、引っかかり感のある爽快さがのこる
すっきりしたような、すっきりしないような、歴史とは割り切れないものなのだ
こういう割り切れない映画好きです、ただ、川端も言っているが、滅びの美学はやっぱりわからん

今年もこの季節がやってきた
松竹がやっているMETオペラビューイング、世界に誇るメトロポリタンオペラを映画館で楽しむ
今年のオープニングはチャイコフスキー、オペラなのでストーリーはいつも通り陳腐なのだが、さすがチャイコフスキー、音楽は優美で、革命前夜、帝政の耽美をよく表している

料金も贅沢だが、贅沢な4時間弱を過ごさせてもらって満足
泣きたい映画を、無性に見たくなり、鑑賞
良くできている、3時間と長い映画なんだけど、途中何度か山場が現れ、その度に涙が止まらない
娯楽映画の王道、たまにはこういう映画もいいもんだ

最近、ほとんど泣かなくなったので、この映画で一年分の涙を流したかも、いや三年分ぐらいかも

横道世之介

2013年9月11日 映画
この映画での吉高由里子にハマってしまった
美藤さんのRDJではないが、久しぶりの萠え萠えである
婚前特急のチエ役でも、紀子の食卓での吹石一恵の妹役でも、全然惹かれなかったのに
なぜかこの映画での、ありえないお嬢様役の吉高に、年甲斐も無く、にやにや

こんなに萠ったのはジョゼと虎と魚たちの池脇千鶴以来か
その前に萠えたのが『時をかける少女」の原田知世

自分は年上好きだと思ってたのに、ほんとはロリなのか!?

愛、アムール

2013年9月2日 映画
大人の映画を撮るミヒャエル・ハネケ監督の2012年の映画
どう大人かというと、きれいごとや安易な答えを一切用意しておらず、観た者が迷える子羊になろうがお構いなし、監督の冷徹なまなざしがそこにあるだけ。
「殯の森」や「ブンミおじさんの森」といったアジア映画では、人の死を自然に還そうとするが、このオーストリア人監督さんは説く、「自立した人間にとって生はあくまで個人の問題であり、老いや死も自己責任の範疇に入る」、シビアだぜ!
あいまいな日本人でよかったと、映画館をあとにしながら思った

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